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「神がトランプを作った」トランプのプロモーション映像(全文書き起こしと翻訳)

はじめに

「神がトランプを作った(GOD MADE TRUMP)」は、2024年1月6日にドナルド・トランプが共有した選挙プロモーションです*1

平時のプロモーションよりも話題になりましたし、宗教国家としてのアメリカの姿が(ジョーク交じりとはいえ)分かりやすく現れる機会は貴重なので、全文を訳してみました。

rumble.com

書き起こしと翻訳

And on June 14th, 1946, God looked down on his planned paradise and said "I need a caretaker." So God gave us Trump.

(1946年6月14日、神は自ら創りたもうた楽園を見下ろして言った。「管理人が必要だ」。そして神はトランプを与えられた。)

 

God said, I need somebody willing to get up before dawn. Fix this country, work all day, fight the Marxists, eat supper, then go to the Oval Office and stay past midnight and a meeting of the heads of state. So God made Trump.

(神は言った。夜明けよりも早く起き出す者が必要だ。この国を直し、一日中働き、共産主義者たちと戦い、夕食を終えた後もオーバル・オフィスに入り、真夜中過ぎまでそこに居て世界の首脳たちと会談する者が要る。そして神はトランプを作った。)

 

I need somebody with arms strong enough to wrestle the deep state, and yet gentle enough to deliver his own grandchild. Somebody to ruffle the feathers, tame the cantankerous World Economic Forum. Come home hungry. Have to wait until the First Lady is done with lunch with friends, then tell the ladies to be sure and come back real soon, and mean it. So God gave us Trump.

(ディープ・ステートに立ち向かうほど腕っぷしが強く、手ずから孫を取り上げるほど優しい者が必要だ。時折波風を立てながらも、世界経済フォーラムの紛糾を収められる者を。懸命に働き、お腹を空かせて帰宅する者を。ファーストレディが友人たちとランチを終えるのを待たねばならず、それでも妻の友人たちに「また遊びに来てくれ」と本心から告げられる者を。そして神はトランプを与えられた。)

 

I need somebody who can shape an ax but wield a sword. Who had the courage to step foot in North Korea? Who can make money from the tar of the sand turned liquid to gold, who understands the difference between tariffs and inflation, will finish this 40 hour week by Tuesday noon, but then put in another 72 hours. So God made Trump.

(手ずから斧を形作り、剣を振るう者が要る。北朝鮮に足を踏み入れるほど勇敢だったのは誰だ? 砂のタールを黄金の液体に変えて富を築き、「関税」と「インフレ」の違いを理解し、火曜日の正午までに40時間の仕事を終え、さらに72時間働くのは誰だ? そして神はトランプを作った。)

 

God had to have somebody willing to go into the den of vipers. Call out the fake news for their tongues as sharp as serpents, the poison of vipers is on their lips, and yet stop. So God made Trump.

(神は毒蛇の巣に進んで踏み入る者を必要とされた。奴らの蛇のような舌と、毒が塗られた唇から生まれるフェイクニュースを告発し、止められる者を。そして神はトランプを作った。)

 

God said, I need somebody who will be strong and courageous, who will not be afraid or terrified of the wolves when they attack a man who cares for the flock. A shepherd to mankind who will never leave nor forsake them. I need the most diligent worker to follow the path, and remain strong in faith and know the belief of God and country. Somebody who is willing to drill, bring back manufacturing and American jobs. Farm the lands, secure our borders, build our military, fight the system all day and finish a hard weeks work, by attending church on Sunday. And then his oldest son turns and says "God, let’s make America great again. Dad, let’s build back a country to be the envy of the world again." So God made Trump.

(神は言われた。強く勇敢な者が必要だ。毛皮を狙う狼の群れに襲われても、恐れず萎縮しない者を。決して人類を見捨てず、離れることのない羊飼いを。最も勤勉な働き手で、正しい道に従い、神と祖国の信仰に通じる者が要る。自らドリルを手にし、製造業と雇用を再びアメリカにもたらし、土地を耕し、国境を守り、軍隊を組織し、一日中制度と戦い続け、ハードな数週間を過ごしながら、日曜には教会での礼拝を欠かさない者を。そして、いずれ彼の長男が告げるだろう。「神さま、アメリカが再び偉大な国になりますように。パパ、世界中が羨ましがる国にしようよ」。そして神はトランプを作った。)

 

追記

この映像自体は「そして神は農夫を作った(So God Made a Farmer)」という有名なスピーチのパロディです。これは1978年にポール・ハーヴェイという人物が発表したもので、神が創造の七日間に続く八日目に農夫を創造したという出だしから、農民の偉大さを称える内容となっています。

www.spiceofcreation.com

 

なお、トランプのプロモーション(やミーム)の多くは彼の選挙チームではなく、オンライン上の支持者によって作成されており、今回の映像もファンメイドのようです*2。彼らはトランプ陣営から直接的な金銭支援を受けていないものの*3、寄付や広告収入によるマネタイズに成功しており、スーパーPACの枠を外れた存在でありながら大統領選に協力しています*4

 

(おまけ)映像を見たCNNキャスターの反応

youtu.be

 

 

 

 

 

『さよなら絵梨』のねじが回転する

「ねじをもう一回転させる(Give the effect another turn of screw)」はとある大昔のホラー小説に登場する言い回しで、「物語をさらに複雑化させる」ことを指している*1

"I quite agree—in regard to Griffin's ghost, or whatever it was—that its appearing first to the little boy, at so tender an age, adds a particular touch. But it's not the first occurrence of its charming kind that I know to have involved a child. If the child gives the effect another turn of the screw, what do you say to two children———?"

 

(「同感だよ。先程グリフィンの話に出てきた幽霊みたいな奴は、まず真っ先に幼い子どもの前に現れたのがちょっと面白いね。でも、子供が絡んだ可愛らしい幽霊話はこれが初めてじゃない。子どもが出てくるお話のねじをさらに一回転させたら、たとえば子どもが二人いたら――?」)

 

ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』

 

 

これは作品を読む上で必須の知識ではないが、映画や小説を読み終わって首をかしげたとき、結末に居心地の悪さをおぼえるとき、無意味に複雑で冗長な細部が意識のどこかに引っかかったとき、それでいて作品にどこか魅力を感じたのならば、次のような言葉にどことなく共感することがあるかもしれない。

 

Literature was not born the day when a boy crying “wolf, wolf” came running out of the Neanderthal valley with a big gray wolf at his heels; literature was born on the day when a boy came crying “wolf, wolf” and there was no wolf behind him.

 

(文学は「オオカミがでた!」と叫ぶ少年が、灰色のオオカミに追いかけられてネアンデルタールの谷間から飛び出してきた日に生まれたのではありません。文学は、「オオカミがでた!」と、少年が背後にオオカミなど居やしないのに叫んだ、その日に生まれたのです。)

 

ウラジーミル・ナボコフ『良き読者と良き作家』


本が好きな人であっても、ある物語がなぜ優れているのか――あるいは、なぜ面白いのかを語るとき、確信を込めて話す人は多くない。明確な理由はあったりなかったりするのだろうが、多くの人は通常、自身の印象を普遍的な体験として表現することを避ける。自分と他者は異なる存在で、他人の手になる文章の真意など分かるべくもないから、きっとそれは正当な態度なのだと思う。上記のナボコフの言葉も、彼の真意が置かれた正確な地点の座標を考えることは難しい*2。しかしそれでも珍しいことに、彼は自らが考える小説の定義を直截的に、やや遠回しな言い方をもって明らかにしている。

 

つまり、「オオカミが出た!」という事実を語るだけでは小説にならない。それは日記や報告や歴史になることはあっても、小説にはならない。なるかもしれない――そのように書かれた小説を知っているという人もいるだろう*3。しかし、ナボコフの発言をやや強引に解釈すれば、彼が重視するものは記述と内容の乖離だ。それを「Aという記述によってBの内容を表現する」ことで物語は生まれる、と理解するなら、

 

For sale: baby shoes, never worn.

 

売ります。赤ん坊の靴。未使用

 

これも定義上は正真正銘の物語となる。

閑話休題。物語はB(解釈)からA(記述)へと変化させられた表現形式であり、読者の目的はBの解釈を明らかにすることだ。いや、まあ明らかにしなくてもよいのだけど、あえて否定してみせたところで状況に大差はない。物語の意味を問う営みは、古来より世界の至る場所で行われてきた。いまさら多少の例外を付け加えたところで、The exceptions prove the rule――巻かれたねじはそのままに、解くことなしに見破ることはあたわず。

 

まとめよう。物語一般には先天的にねじが巻かれている。ねじを見つけて外すのは読者の役目だ。見つけ方と外し方は読者の自由である。ねじをどれほど回すかは、作者次第。

たまにねじを巻きすぎる作者がいて、その代表例として冒頭で取り上げたのがヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』でした。

 

『さよなら絵梨』の物語

『さよなら絵梨』のページを最初に開いて現れるストーリーそのものは、取り立てて目を惹くものでもない。

 

母親の入院をきっかけに、優太はスマホのカメラで家族の日常を撮り始める。母の死後、撮り溜めたビデオを編集し、映像作品として発表するためだ。しかし、ふざけた演出(爆発オチ)を入れたために作品は酷評される。塞ぎ込む優太だったが、難病で余命いくばくもない同級生の絵梨と出会い、優太の作品に理解を示した彼女に、自分の死ぬ姿を撮って欲しいと頼まれ――。

 

(言い忘れたけれど、以下にネタバレが入るので読んでいない人は気をつけてね)

 

その後、優太は絵梨の撮影を進めつつ、物語のさまざまな伏線を回収していく。そもそも、なぜ優太は撮影を始めたのか? 理由は母親の意向によるものだ。TVプロデューサーだった母親は、自分の闘病生活をドキュメンタリーに仕立てようと目論んでいた。それを、なぜ爆発オチなどにしたのか? 彼は自分の母親の死と上手く向き合えなかったのだ。

 

そうした種々の困難を絵梨とともに乗り越えつつ、映像の制作は続いていく。そして絵梨の死後、爆発オチのない絵梨の感動的な闘病映像が学校で上映され、作品は好評を博す。それはまさに、かつて優太の母親が望んだような映像だったのだろう。観客は感極まり、絵梨の友人には好意的な感想を貰い、めでたしめでたし、となり――。

 

ここまで見た限り、『さよなら絵梨』の表層的なストーリーにはあまり見るべきところがないと思う。この後に少しだけ続くラストを別にすれば、この物語は成長して身近な人間の感動ドキュメントを撮れるようになった中学生の話でしかない。もちろん、世の中に陳腐な物語は溢れていて、人間の文化の少なくない面積を占めているけれど、『さよなら絵梨』は面白みのない作品が完成した事実を過程なり背景を理由に肯定したりしないだろう*4

なぜなら、『さよなら絵梨』の物語のねじが、ここで大きく回転するからだ。

 

『さよなら絵梨』の作中には「爆発オチ」が出てくる。筋書きに不条理さを与える演出だ。主人公の優太は、単なる闘病ドキュメンタリーに相応しくない爆発オチを付け加える。

 

それを「非常識」だと思うのも、「母親の死を受け入れられなかったから」と理解するのも、あるいは単に「B級映画に惹かれているから」だと考えるのも、すべては解釈であり、読者の役目だろう。しかし、実はここにひとつ、あまり争いのない点がある。優太はねじを巻く側の人間なのだ。そして絵梨の映像は、上映会が終わった後にさらなる編集を受け、凡庸だったはずの作中作と物語のねじはさらに締め付けられる。

 

歳を取った優太の前に、あの頃の同じ姿で現れた絵梨。自らを寿命を持たない吸血鬼だと語る彼女は、優太の撮った映像を今も繰り返し眺めると言い、次のように告げる。

 

「見るたびに貴方に会える――私が何度貴方を忘れても、何度でもまた思い出す」

 

藤本タツキ『さよなら絵梨』P192

 

新たな展開だ。単なるドキュメンタリーだと思っていた作品は、実は本当に不死の少女を撮っており、彼女は永遠の中でいつまでも在りし日の主人公を見つめている。記憶を失い続ける吸血鬼のあえかな恋心こそ、『さよなら絵梨』の本当の物語だったのだ!

――という表層的な解釈を、実は本作はあまり許していない。最後一コマの爆発オチは、ラストシーンがフィクションとして作られていることを読者に示してもいる。

 

では、あり得そうな解釈Bとは何だろう。作中で映像制作が進行している点に着目すると、実際の絵梨は吸血鬼などではない可能性が出てくる。つまり、映像は難病で亡くなった少女による生前の演技であり、優太役を演じているのは優太の父親かもしれない。ここでは父親の俳優経験が伏線となっている。

 

「吸血鬼が居た!」と言いながら、本当は吸血鬼などいなくて、でも実は存在してて、やっぱり居なくて――しかし病に斃れたはずの少女は、映画の中で永遠の命を吹き込まれ、高らかに勝利を宣言する。じっさい、物語のねじをやっとこさ外してみせたとき、絵梨は本当に生きた存在として私たちの前に現れるのかもしれない。彼女は今も物語の中の部屋に陣取り、優太と一緒につくった作品を、お気に入りの映画たちとともに時折眺めているのだ。

*1:諸説ある

*2:一応ナボコフの意図を捻じ曲げたりはしていないと思う

*3:たとえばルーセルロクス・ソルス』やレム『完全な真空』にどのような解釈が成立するのかを自分はあまり知らない

*4:もちろん作品は筋書きだけで成り立つものではないし、優太が怒られたり独白したり絵梨と絆を深める細部が無ければせっかくの構成も魅力が半減するのだけど、ここではそういう突っ込みは無かったことにしてほしい

存在しない命の価値とは?(翻訳)

How do you value a life not yet lived?

 

1852年のこと。コーサ戦争*1に向けて部隊を輸送していた軽巡洋艦バーケンヘッド号*2は、現在の南アフリカ近海で岩礁と激突した。兵士たちは速やかに船尾に集まり、乗り合わせた女性と子供たちは舷に置かれた小舟に乗り込んで安全を確保した。440人以上の男が命を落とし、溺れたり、潰されたり、サメに食われたりした。

 

女性と子供を最初に助ける定めは、バーケンヘッド・ドリルの名で知られるようになった。この精神はタイタニック号の事故においても出現し、海の不文律として称賛された。当時の多くの人間にとって、その根拠は自明のように思われた。ある記者は女性と子供が「より無力」であると記した。タイタニック号では一人の着飾った女性が自らを「スカートの中の囚人」だと語り、助け無しには救命ボートに飛び乗ることもできないと嘆いた。

 

しかし、この手順が正当化されるより深い理由は「社会の未来を守るため」だと考える人々もいる。タイタニック号の生存者の内、幾人かは子供を残している。マドレーヌ・アスター(Madeleine Astor)は再婚した後、二人の息子を新しい夫との間に設けた(その内の一人は自らを「とても幸運な男」と称し、母親の幸運が彼自身のものでもあったと考えている)。リー・アクス(Leah Aks)は後に娘と二人目の息子を産んだ。彼女のひ孫はフルート奏者になり、テネシー大学でタイタニック号について教えるクラスも担当している。氷の海から700人以上の命を救ったタイタニック号の救命ボートは、ある意味で、生存者たちがその後に残した命さえも無の深淵から救い出したのである。

 

The questions posed by population ethics range from the intimate to the cosmic

 

救出された時点で存在しなかったが、救出されなければ存在しなかった命。こうした命の価値をどう見積もるべきか、哲学者たちや少数の経済学者の間で議論が進んでいる。イギリスの哲学者デレク・パーフィット(Derek Parfit)が70年代に創始した「人口倫理(population ethics)」という分野である。経済学者たちは、経済政策や規制が人々の暮らしに与える影響を日々問うている。しかし、政策が単に人々に恩恵や厄災をもたらすだけではなく、人口そのものを増やし、対象の人々の数やアイデンティティを変化させることがある。そのような場合、学者は政策がある場合とない場合とで単純に人々を比較するわけにはいかない。政策が実施されたグループは、されていないグループとは異なる集団になっているからだ。

 

人口倫理が提起する問題は、身近なものから宇宙的規模に至るテーマまで多岐にわたる。夫婦は子供を持つべきか? その不妊治療の費用は政府が負担すべきか? 人類は他の惑星に進出し、地球の制約を超えて勢力と寿命を拡大すべきか? 気候変動が突きつける政策が人間の活動を制限するならば、最も痛みの少ない地点はどこか。プリンストン大学のノア・スコーブロニク(Noah Scovronick)らは、2017年の論文で気温上昇を産業革命以前より2℃以内に留めるためのコストを算出した。人口が97億人に達する2050年には、排出量の年次抑制にかかるコストは一人あたり481ドルに達する。

人口がもっと少ない87億人の場合、年次コストは471ドルに下がる。二番目の選択肢はより安価で、より多くの人々が存在するのは最初の方だ。両者をどのように比較すべきか?

 

決断を下すために、さらなる具体的な詳細を求めるアナリストもいるだろう。もっと少ない人口ならばどうなる? たとえば、リプロダクティブ・ライツ(生殖に関する権利)を尊重しつつ、そのような状況を実現することはできるだろうか? しかし、彼らは別の哲学的難問にも答えねばならない。一方のシナリオ上に存在し、もう一方には存在しない10億人の人々をどう考えるべきか?

 

タイタニック号の公的な事故調査報告は、その経費に関わらず、もっと多くの救命ボートを搭載すべきだったと結論付けた。同様の計算が経済学の分野でも日々行われており、交通事故をはじめとするケースで、社会がリスクを減じるためにどの程度費用を掛けるべきか見積もっている。これらの試算は、人命をドルに換算することを避けていない。

 

あるいは、きわめて危険な業務に従事する人々が要求する特別手当の額から価値を推定できるかもしれない。しかし、誰かの命を守ることがその人たちの子孫の命をも救うということを、この種の計算が認めることは稀といっていいほどだ。
しかし、例外とはそこに規則が存在する証でもある。1981年、オーストラリアの国際応用システム分析研究所に勤めていたW・ブライアン・アーサー(W. Brian Arthur)は、様々な死が社会に与えるコストの違いを比較した。

 

それらしい推定によれば、誰かの命を交通事故から助けるのは、癌から助けることに比べて2.5~4倍ほど価値が高い。事故の犠牲者はより若く、人生に残された時間も多い傾向にあるため、その分だけ子孫を残す見込みも増えるわけである。癌で死ぬ人々が100人いたとすれば、追加で失われる子供の人数の期待値は2人ほどだ。これが交通事故ならば、失われる子供の人数はおよそ32人となる。

 

生まれてくる人間の数に政府が影響を与える方法は、若者を不慮の死から救うことだけではない。産児制限、育児休暇、子育て支援制度といった政策は、出生率に直接的な影響を与える。その他の多くの政策も、間接的ないしは思いもよらない影響を与えることがある。

 

たとえば、住宅価格の高騰は若年層が新たに家庭を築くことを難しくする。また、出費が嵩めば、小さな家族が規模を拡大することも阻んでしまう。ある研究によると、仮にヨーロッパで失業率が10パーセント上昇すると、女性100人あたりの子供の数は9人減少するという。女子教育の向上は妊娠出産を遅らせる。また、女性が雇用されやすくなれば、子育てのために家に居ることがより大きな経済的犠牲を伴う可能性もある。中国では、Covid-19との長い戦いが、結婚や出生数の低下をもたらした。研究者たちは、経済的な見通しと、ロックダウン中の家庭を管理することへの不安が原因だと述べている。大規模な経済政策は概ね、事実上の人口政策でもある。子どもを設けるかもしれない人々の将来の見通しを形作るからだ。


For what it’s worth

これらは実際的な問いであると同時に、哲学的な疑問をも引き起こす。難破船や交通事故から人々を助ける費用を決めるとき、被害者たちの潜在的な子孫の数を計算に含めるべきだろうか? もし政府の決定のために生まれてこない人々がいるなら――住宅価格を引き上げるような開発規制の厳格化、社会不安や失業率を加速させる金利政策、キューピッドの矢を矢筒に封じ込めるようなロックダウン政策など――そうした選択のために生まれてこない人々の不存在は、政策の決定に影響を及ぼすべきだろうか?



一般的な答えは、ノーである。潜在的な子孫の命が「誰かの命を助ける理由になったことはない」と、オックスフォード大学の倫理学者であるジョン・ブルームは述べる。子孫たちの命は、それが政策の目的である時ですら考慮されないことがある。英国の臨床ガイドラインは、中絶費用の公費支出を正当化する根拠に母親の利益を挙げている。だが、その結果失われるであろう子供の命は考慮していない。同様の慎ましさは、人口への影響がはるかに巨大な政策においても見られる。たとえば気候変動は、人々の生き方や住む場所を一変させるだろうし、おそらくその全てが未来の人口動態に影響を与えるだろう。だが、「気候変動の脅威を長々と説く書物の中で、人口に及ぼす影響を取り上げたものは、肯定・否定のいずれの論調においても見たことがない」とブルーム氏は2001年に書いている(彼はその後、気候変動に関する政府間パネルIPCC)で活躍した)。



ブルーム氏によれば、この手の沈黙の理由は明白である。「これらの評価を行う人々は、人口の変化それ自体は善でも悪でもないと見做している。自らを倫理的に中立だと見なしているのだ」。政策立案者は、もちろん過剰な(あるいは過小な)人口が全体に及ぼす影響を心配している。人口過剰がもたらす環境への負荷や、人口減少がもたらす財政難を心配している。しかし、人々の多くは人口の変化それ自体には中立の態度でいる。たとえ10億人もの追加人口が地球を過密にしたり大気を詰まらせないとしても、人々の多くはそのような一群の存在を善とも悪とも考えないのだ。

 

このような態度は普遍的かつ便利であり、しばしば説得力を持つ。1973年、カナダの哲学者であるジャン・ナーブソン(Jan Narveson)は、この直観を的確に表現してみせた。「私たちは人々を幸せにするのを好むが、幸せな人々を作り出すことには中立だ」

 

直観に支えられた中立性というテーマがおそらく最も興味を引くのは、家庭が子どもを持つかどうかの決断に適用されたときだ。その決定は、他の多くの人々、特に誰かの親となる人々にも無関係ではないだろう。それはさておき、夫婦の決断は世界を良くするのか、それとも悪くするのか? そのどちらでもない、とナーブソン氏は主張する。結果として、「子どもを作れたのに作らなかったのは、不道徳でもなければ、博愛精神の不足でもない」。氏の主張は正しい。たとえ、生まれたはずの子どもが幸福な人生を送ったとしても。

 

生まれてこなかった子供は何かを失っている、と反論するかもしれない。彼らが送ったであろう人生よりも、存在しなかったことの方がなお悪い、と。だが、それは形而上学的な誤謬に過ぎない、とブルーム氏は指摘する。彼らが存在しなかったならば、貶められる「彼ら」など存在しないからだ。
この議論は現代哲学に特有のものではない。共和制ローマの詩人であったルクレティウスは、2千年前に同様の結論に達していた。

 

一体何を失ったのか? 我々が誕生を知らなければ
(中略)
希望を噛み締めたことのない者、
生まれなかった者、心なき者は、欠乏を覚えることもない*3

 

この直観は詩的な魅力を持つだけでなく、政治的にも都合がよい。政策立案者とアナリストは、道路事情の改善や、住宅価格の値下げや、ロックダウンの切り上げといった施策によって生じたはずの人々を重視せず、あるいは考慮に入れる必要すらない。100人の若いドライバーを救うことで生まれたかもしれない32人の子供が、道路予算の算出に影響することはない。不妊治療の結果生まれるかもしれない子供は、その費用と便益の計算に含まれない。任意の決定が無ければ存在しなかった人々は、その決定自体を左右することができない。

 

Making happy unicorns is a matter of moral indifference only as long as someone is doing it

 

このような直観に惹かれたブルーム氏は、著書『命を量る(Weighing Lives)』を準備するにあたって、それを裏付けるべくあらゆる哲学的議論を検討した。しかし、彼は最終的に「真に遺憾な結論として」これを「放棄せざるを得なくなった」。他の多くの哲学者も同様の結論に到達している。彼以前にはパーフィットもそうだったし、最も最近の例では、2022年に『私たちが未来に負っているもの(What We Owe the Future)』の著者として知られるようになったウィリアム・マカスキル(William MacAskill)もいる。彼の著書には、中立的直観から離れていく思索の辿る似たような過程が記録されている。

 

過程にはいくつかの段階がある。中立性に対する明白な異議のひとつは、絶滅の恐れだ。ある一組の夫婦が子どもを持たないのは善でも悪でもない。しかし、全ての夫婦がそんな選択をすれば、大惨事である。最近のニューヨーカー誌に、ノアの方舟を題材にした風刺画が掲載されていた。サルやゾウ、キリンのつがいに囲まれる中で、一匹のユニコーンが片割れに「子どもが欲しくないんだ」と告げるのだ。ユニコーンの幸せを願うのが倫理的無関心(moral indifference)の範疇に収まるのは、誰かが代わりにそれをやってくれる限りにおいてだ。


Never was I ever

中立性原則の批判者たちは、その無様な非対称性を指摘している。原則が幸福な人々に適用されることはあっても、恐ろしく不幸な人々に対して用いられることはない。パーフィットは「可哀相な」子供について思考を巡らせた。「彼の生涯は、無よりもなお悪いほど苦しめられる」。そのような子どもに命を与えるのは良くないことかもしれない、とNarveson氏も認めている。

 

だが、このことは倫理的なジレンマを引き起こす。子どもを設ける人は皆、倫理的な賭けに出ている。彼らは幸せな子どもを生むことを願っている。しかし、子どもは稀な先天性疾患や、後天性の事故や病気によって恐ろしい目に遭う可能性がある。つまり、倫理的に中立な目的のために、道義上よろしくない(morally regrettable)事態を招くリスクを負うことになるのだ。

 

「可哀相でない」命に適用した時でさえ、直観的中立性は論理的な困難を引き起こす。潜在的な人口に重きを置かないことで、その規模や程度による違いを互いに比較することが難しくなるのだ。倫理的な尺度は、その全ての集団に「中立」の判断を下す。規模の大小や、享受する幸福の程度に関わらず。

 

マカスキル氏は著書の中で、子どもを生むか決めかねている未来の母親について想像を巡らせている。彼女は一時的なビタミン欠乏状態にあり、いますぐに妊娠すれば、子どもは将来頭痛に悩まされる。彼女が待てば、子どもはそうならない。
倫理的な尺度は、偏頭痛に時折見舞われる幸福な子どもを作り出すことに対して中立である。そして偏頭痛に無縁な子どもを作ることについても、同じく中立だ。どちらかの選択がより直観的に良いものであろうと、倫理的には同一の判定が下る。いずれのシナリオも、子どものいない現状と意義ある区別をすることができず、シナリオ同士を互いに比較することも不可能だ。

 

この種の困難さのために、パーフィットやブルームのような哲学者たちは、潜在的な人々の価値を量るために、その道義的な根拠や実用的な手法を熱心に模索した。パーフィットは、存在することは一個人にとって不存在よりも良いと断言することに慎重だった(そもそも不存在なら、一個人にあたるものが実在しないのだ)。しかし、仮に人間の存在を生み出すことが他の選択肢に比べて「より善でない」場合であっても、その選択肢は依然として「善」であるかもしれない、とパーフィットは著書『理由と人間(Reasons and Persons)』の中で述べている。彼は哲学者のトマス・ネーゲル(Thomas Nagel)を引用した。「私たち全員は・・・幸運にも生まれてきた。しかし、生まれなかったことが不幸とは言えない」

 

人間存在を生み出すことが(生まれてくる人々にとって)善であるならば、それを倫理的尺度の中に位置づけることができる。マカスキル氏の思考実験に登場した母親は、妊娠することで子どもに益をもたらす。彼女が待つならば、母親はより多くの益を頭痛のない子どものために積み上げるだろう。頭痛持ちの、より早く生まれる子どもに与えられた益よりも多くの。

 

哲学者たちが「没個性的観点(impersonal view)」と呼ぶものも適用できる。未来を順位付けするにあたり、意思決定者はある世界を別の世界よりも上位のものと見なすだろう。たとえ双方の世界の住人にとって、もう一方の世界が住みよいものではなかったとしても。マカスキル氏の例に登場した子どもたちは、どちらも価値ある生を享受している。自分の存在しない別の世界よりは、今の世界で存在している方が幸福である。

 

没個性的に俯瞰する場合、その存在が単なる可能性に過ぎない人々であれど、現在または未来に実在する人々同様に評価されねばならないだろう。潜在的な人々の集団をこのように扱うことは、構成員全員に厳しい示唆をもたらすかもしれない。(十分に)幸福な人間を一人加えることで世界がより善くなるならば、それ以外の人々の一部が犠牲を払ったとしても、その人を迎え入れる価値があるかもしれない。人口が多くて貧しい世界の方が、人口の少ない世界より道徳的に好ましいこともあり得る。97億人の人々が二酸化炭素排出量を抑えるために毎年481ドルずつ支払う世界の方が、より少数の人々がより少額を払う世界より善いかもしれないのだ。

 

既に窮屈感が漂いつつある地球において、明らかに歓迎される考えではない。しかし、同様の哲学的論理は急進的な環境保護対策においても成り立つ。たとえば、これ以上ないほど不安定な環境になった地球を想像してみよう。あまりに危険な状況なので、現在の地球で汚染を減らせば減らすほど、未来の子孫たちはその分だけ長く生きることができる。私たちが不自由な暮らしを受け入れることは、子孫たちの世代をもうひとつ伸ばし、種全体の寿命を延長することに繋がるのだ。我々の子どもたちも同じく窮屈な規制を受け入れるなら、子孫の世代もさらに追加される。さらに、子供たちの子供たちにも同じことがいえる。時間を超えて広がる生命の量を増やすために、生活の質を落とすのが人としてあるべき姿かもしれない。

 

問題は、どこに線を引くかだ。この理屈だと、幸福の大半が奪われたような暮らしであっても、十分に個体数が多ければ正当化されるかもしれない。前時代的な世界であれ、より多くの人々が生を享受できるのなら、快適な暮らしよりも善いといえるかどうか。私たちは結論を迫られる可能性がある。

 

以上はパーフィットが「忌まわしい結論(repugnant conclusion)*4」と呼んだものの一例だ。パーフィットは人々が辛うじて生きるに値するような世界を想像してみた(彼はこのような世界での暮らしを「ミューザックとポテト*5」と形容している)。しかし人口が十分に大きい場合(哲学的な思考実験において、人口サイズの限界を決めるのは哲学者の想像力だけである)、そのような世界は、より小規模ながら豊かで幸福な他の世界よりも、道徳的に好ましいことになる。

 

こんな結論はとても受け入れがたい。この問題はパーフィットの残りの生涯を悩ませ続けたし、未来研究所*6のグスタフ・アレニウス(Gustaf Arrhenius)によると、「現代倫理学の主要な課題」でもあるという。未だに直観的中立性を支持する哲学者がいる理由の一端も、このためだ。

 

ブルーム氏は、基準を適切に調整し、人生のボーダーラインを変更することで問題を回避できると考えている。パーフィットは、人間が辛うじて生きていけるだけの暮らしを生きるに値する人生のボーダーラインとして設定した。ブルーム氏の考えでは、没個性的な観点からみて、新たな世界に参加するだけの価値があるかどうかを基準にすべきだという。「ミューザックとポテト」の暮らしが善い世界とかけ離れた、忌まわしい代物ならば、定義されたラインを下回ることになる。そうすれば、より幸福な潜在的個体だけが、正しく調整された基準の下でプラスの価値を得ることになる。


The sum of all fears

しかし、この修正で不愉快な結論を撥ねつけたとしても、別の厄介な疑問が持ち上がる。アレニウス氏が指摘したように、地獄のような暮らしを送る世界の方が、それより多くの人々がブルーム氏の基準をわずかに下回る生活を送るような世界よりも好ましいことも起こり得る*7。実のところ、「忌まわしい結論」とその派生を避けて進むことは非常に難しい。これは倫理学の様々な分野で、様々な形を取って現れる。別の角度から見ると、パーフィットの問題は、「多くの人々をわずかに助けるか、少数の人々を大幅に助けるか」という見知ったジレンマに変化する、とテキサス大学オースティン校のディーン・スピアーズ(Dean Spears)と彼の共著者たちは指摘する。

 

道徳的な計算において、上限が明らかでないままに、人々や幸福、苦痛といったものを足し合わせると、「忌まわしい結論」のようなものが生じることがある。ジョージ・メイソン大学のタイラー・コーウェン(Tyler Cowen)は、「忌まわしい結論」を「パスカルの賭け*8」に喩えている。もし天国が無限に美しく幸福で満ちているなら、人間は天国に入る目をほんの僅かでも上げるために、おおよそ全てを犠牲にしなくてはならない。これもまた、忌まわしい思考だ。パーフィットの想像する人口規模に上限が無いのと同様、天上のよろこびにも上限がないために問題が生じるのだ。

 

The fear of large populations of low-quality lives has overshadowed the field of population ethics

 

「忌まわしい結論」とその仲間は色んな場所に顔を出すので、感覚が麻痺してしまうかもしれない。しかし、スピアーズ氏とラトガース大学のマーク・ブドルフソンは、これを解放の始まりとみている。「忌まわしい結論が不可避のものなら、いっそ避けるべきではないのです」。理論が現実のケースと符合していれば、たとえ無限の人口を持つ架空の人々を扱う想像上のシナリオにおいて直観に反する結果が出てきたとしても、理論そのものを投げ出す必要はないだろう。

 

2021年、スピアーズ氏とブドルフソン氏は他の27人の研究者たち(本記事で言及された大半が名を連ねている)とともに、短い論文を出版した。この論文は「忌まわしい結論」を解決しようとする代わりに、その無力化を目指したものだった。冒頭には彼らの共通認識が掲げられ、「忌まわしい結論」は従来思われていたほど致命的ではない、と書かれている。「人口倫理に対する任意のアプローチが忌まわしい結論を引き起こすとしても、そのアプローチが適切だと結論付けるには十分でない」。劣悪な日々を送る膨大な人間という恐怖が、人口倫理の分野に暗い影を落としている。通例ないほど大勢の明晰な著者たちが、それを晴らしてくれるだろう。■


この記事は印刷版のクリスマス特別企画に、「造られなかったすべての人は平等である」の題で掲載されました。

 

👇元記事👇

www.economist.com

*1:コーサ戦争

Xhosa Wars - Wikipedia

*2:軽巡洋艦バーケンヘッド

HMS Birkenhead (1845) - Wikipedia

*3:出典はルクレティウス『物の本質について』

*4:"repugnant conclusion"の邦訳には幾つか異同があり、近年は主に「反直観的な結論」「直観に反する結論」と訳されているようです。ただ、直観に反するから排除すべきという文脈は個人的にしっくりこず、また元の記事ではevilに近い意味合いで使われている上にcounterintuitiveとの使い分けもされているので、当記事内では「忌まわしい結論」としています。折衷案として「受け入れがたい結論」なども考えましたが、一応分かりやすさを優先しました。

*5:ミューザック(muzak)とは、飲食店や小売店でBGMとして流れている音楽のことです。有線放送のような娯楽とジャガイモのような食べ物しかない暮らしを表現した言葉ですが、受け取る人によって印象が変わりそうな気もしました。

*6:the Institute for Futures Studies

*7:「忌まわしい結論」を回避する試みとその反論について、本記事で紹介された例はほんの一部であり、たとえばBroomeの説を推し進めると「サディスティックな結論」と呼ばれる状況が登場します。こちらも「忌まわしい結論」のように人口倫理において回避すべき課題とされてきました。込み入った話なので元記事では割愛されていますが、概観は以下のページに詳しく載っています。

plato.stanford.edu

*8:パスカルの賭け - Wikipedia

小舟でアラスカに逃れたロシアの徴兵拒否者

ウクライナでの戦いから逃れるため、セルゲイとマクシムは軍の哨戒を躱して嵐に立ち向かった。

 

風が勢いを増すごとに、セルゲイとマクシムは海の様子を神経質に眺めやった。シベリア沿岸の故郷を離れ、小さな船外機ひとつで動くマクシムの狭い釣り船でベーリング海の横断を始めてから5日が経っている。航海は死と隣り合わせだった。移り気な嵐と凍えつく冷気で知られるベーリング海は、世界で最も危険な水域のひとつだ。2人はロシア最東端に位置するチュクチ(Chukotka)自治管区の沿岸(とても遠いので世界地図ではたびたび省略されている*1)に降下した。嵐に向かって果敢に漕ぎ出し、軍国化著しいロシアの探知からどうにか逃れようとしたのだ。いま、彼らは300マイルにわたる航海の輝かしい終わりに近づいていた。アラスカまでたったの20マイルだ。

 

ふと、遠くを見やったセルゲイは心臓が止まりそうになった。巨大な白波のうねり*2が目に入ったのだ。携帯電話の天気アプリを見ると、彼らはまさに暴風の中に突っ込んでいくところだった。数日前に遭遇したものと同じ嵐で、その時は急いで岸まで戻り、天候が穏やかになるまでの3日間を神経を尖らせながら過ごしたのだ*3。いま、ロシアからの脱出を急ぐ彼らは、迂闊にも因縁の相手に捕まってしまった。マクシムのボートは全長16フィート(訳注:5メートル弱)の薄い船体で、船を浸水、もしくは転覆させかねない怪物相手に勝ち目は無かった。

 

Sergei didn’t answer the knock at the door. He already knew who it was. The Russian military was conscripting men to serve in Ukraine.

 

波が船殻を叩きはじめ、海水がセルゲイが降り注ぎ、船は縦横に揺れ出した。岸に戻るなら決断の時だったが、この時はそのまま嵐に突入した。「引き返すことなど考えもしなかった」とセルゲイは言った。彼はひと月前、既に単独での横断を試みており、激しい風に押し戻されていた。彼もマクシムも再度のチャンスが無いことを分かっていた。2人は選択を迫られた――ロシア軍に投降して慈悲を乞うか、まっすぐ突っ込むか。そして嵐を選んだ。

 

遡ること8日前の9月26日、セルゲイの自宅扉がけたたましくノックされた。扉の向こうに誰がいるのか分かっていたので、応答しなかった。極東ロシアの港町、エグべキノト(Egvekinot)に住む男たちはみんな、過去数日間に同じノックの音を聞いていた。ロシア政府は男たちを対ウクライナの戦争に徴兵している。大きなヘイゼルの瞳と濃い眉を持つ痩身のセルゲイは、その一員になりたくなかった。ノックの音が止み、外階段の足音が去ってから窓の外を見ると、グリーンの軍服に身を包んだ男女が車に乗り込むところだった。内心を恐怖が這い回った。(2人は家族への制裁を恐れているため、苗字を明かしていない)

 

友人のマクシムに電話を掛けて、今から来れないか頼んだ。理由は説明しなかった――話し合いは電話越しでない方が安全だ。だがマクシムは察していた。彼も同じノックの音を早朝に聞いていたのだ。覗き穴から同じグリーンの軍服を目にし、そして応答しなかった。

 

セルゲイとマクシムは10代の頃からの知り合いだ。2人の仲はロシアへの不信感によって幾年も支えられている。どちらもウクライナでの戦争は無意味で邪なものだと考えており、軽蔑する政府のために戦うなど思いもよらないことだった。到着したマクシムに、セルゲイはとてつもない提案をした。マクシムの釣り船で、ベーリング海を渡ってアラスカに逃げよう、と。

 

既にセルゲイは警察の厄介になっていた。マクシムは薄い黒髪と、頬にはにきびの痕が残るシャイな男で、政治的立場を公言することはないが、セルゲイは違った。エグべキノトに住む3000人は皆、セルゲイがどういう思想の持ち主なのかを知っていた。彼は自前の運送会社を経営するトラック運転手で、都市住民に荷を運び、国家の汚職を追及していた。道路予算の横領を巡って政府機関を非難した。そしてロシアがウクライナに侵攻したとき、彼は教師や司書を捕まえて――プロパガンダの拡散を公務として担う人々だ――どうして戦争を正当化するのかを問いただした。そして自らの見解を聞かせた。ウラジーミル・プーチンは、ウクライナを征服することでいっそう権力基盤を固めたがっている、と。

 

They took precautions. Most people in their town believed state propaganda, and would be “delighted to catch you out, to brand you a traitor, an enemy”

 

昨年の6月、警察当局は彼を聴取することに決めた。セルゲイは連行され、留め置かれた2日間のあいだ、活動について尋問され、プーチンの敵で現在収監中のアレクセイ・ナヴァルニーとの関係を問い質された(彼は取材に対して繋がりは皆無だと答えた)。8月に入ると、KGBの後継機関として治安維持を担うFSBがセルゲイを過激派として拘束し、無許可でエグべキノトを離れることを禁じた。セルゲイが脱出の決意を固めたのは、その時だった。彼は動員令の前にも一度ヨットでの横断を試み、強風に押し戻された。そしてノックの音が脳裏に鳴り響く中で、再びトライしようと決意した。マクシムは同行を了承した。彼の見立てでも、ウクライナで死ぬかアメリカに逃げるかしかなかった。「選択の余地はなかった」と彼は述べる。

 

つづく3日間は準備に費やされた。目的地は300マイル以上先、アラスカ本土の西に位置するセントローレンス島だ。マクシムは小さなボートを無鉄砲な航海に向けて準備した。必要な品を準備した――パン、ソーセージ、卵、紅茶、コーヒー、ビスケット、タバコの箱、そして燃料。必要な用事を済ませ、所持品を手放し、そしてルーブルをドルに換えられなかったので、友人や親類に蓄えを譲渡した。

 

セルゲイは再びドアが叩かれないか耳をそばだてていた。彼はとあるやりとりのことを気に病んでいた。万が一、全てが露見してしまったらどうしよう。2人は計画を誰にも漏らさないと決めたが、遠く離れたシベリアのオムスクに住むセルゲイの娘の一人だけには伝えたのだ。この街の住民の大半はプロパガンダを信じている、とセルゲイは言う。「他人を喜んで陥れて、売国奴や敵の烙印を押すだろう」

 

慌ただしい日々の間、夜になるとセルゲイは強いビールをたらふく飲んでいた。インタビューの際、セルゲイは顔をひっぱたいてその効き目を表現していた。一晩で15本も空けたのは、人生で初めてだったという。商店主は彼の太っ腹ぶりに感謝していた。そして9月29日の午後4時に、2人はマクシムのボートに乗って出航した。

 

片方が操縦するあいだ、もう片方は見張り役を担った。シベリアの臀部にぶら下がる、チュクチ半島の沿岸を進んでいく。当初の光景は穏やかなものだった。ここは2人がかつて育ち、マクシムがほぼ毎日釣りをしている海なのだ。シャチ、セイウチ、クジラがたくさんいる。日が落ちると上陸し、最初の夜をマクシムの親類と過ごした。2日目の夜はセルゲイの知人たちと。そして野外でテントを広げた。どこへ行くのか尋ねられると、2人は決まって同じ話を喋った。死んだセイウチを探しているんだよ。牙を採って売るためにね。船に戻ると、2人はほとんど会話をしなかった。「ただ考えていたんだ。どうか捕まることなく逃げられたら、とね」とセルゲイは話す。

 

2人が特に心配したのは旅の後半のことだった。チュクチ半島は高度に要塞化されている。2人の航路は国境警備隊が結集する街を横切らねばならない。用心のため、電波が拾われないよう携帯電話の電源を切った。しかし、旅が何らの邪魔も受けないまま進んでいく内に、2人は当局が何の注意も払っていないような印象を抱き始めた。セルゲイは、お偉方はひょっとすると誰かがここを横切る可能性など夢にも思わなかったのだろう、と考えている。

 

Maxim stocked his small boat with provisions and fuel. The two men wound down their affairs, gave away their possessions and set off for America.

 

そして嵐の場面に戻る。セルゲイは船内への浸水に気がついた。船底ポンプがひっきりなしに唸りを上げる。それから、ボートは2つの水の壁の間に投げ出された。セルゲイは目を閉じて、述懐を続けた。「ここに居るべきじゃない。人間が来てよい場所ではない」。乗組員マクシムの優れた手腕でどうにか最悪の嵐を迂回して、2人は生き延びた。

 

数時間後、嵐の海域を通り越して、2人はアメリカの海を渡っていた。旅の終わりに、ようやく得た休息の時だった。インタビューを受けたセルゲイは、身の毛もよだつような体験の記憶を皮肉な冗談で誤魔化していた。でも、とうとうセントローレンス島を目にしたくだりに話が及ぶと、体が一瞬硬直し、我に返ってすばやく涙を拭いた。アメリカの印象を尋ねると、「法が機能している自由な国だ」と語った。

 

2人がガンベル(Gambell)の街に上陸すると、数十人が集まってきてじろじろとよそ者を眺めた。住民たちはまず、2人が迷彩服を着ていたのを見て、ロシア兵ではないかと考えた。2人はグーグル翻訳を介して説明し、自分たちが政治的難民だと話すと、群衆の態度は暖かいものに変わった。「ようこそアメリカへ」。ピザとジュースを配り、「君たちはもう安全だ」

 

2人の平穏は長続きしなかった。ガンベルの警察当局がやってきて、2人を拘留せねばならないと言ったのだ。翌日、移民・関税執行局(Immigration and Customs Enforcement)が2人の身柄を移送し、アラスカ最大の都市であるアンカレッジの牢に入れた。そこで2晩過ごしたあと、今度はワシントン州タコマにある拘置所に入った。「奴らはタバコすら勧めてこなかった」とセルゲイは語る。

 

アンカレッジでは、アラスカ州上院議員であるリーサ・マーカウスキーが2人のもとを訪れた。マクシムによると、議員は2人に「少しばかり忍耐が必要だ」と告げたそうだ。アメリカは迫害から逃れてきた人間を保護する条約を結んでいる*4。しかし、近年は「保護する(shelter)」という語が実に狭い意味で解釈されている。亡命希望者の多くはまず拘禁されるのだ。そのまま数ヶ月、ひどい時には数年出てこられない人もいる。セルゲイとマクシムにその説明をした者は誰もいなかった。「”少しばかり”の意味するところが分かりませんでしたよ」とマクシムは語る。

 

Using Google Translate, they explained they were seeking political asylum.” Welcome to America”, the crowd responded. You’re safe now”

 

つづく数ヶ月を2人は他の70人の抑留者たちと共に大部屋で過ごした。来る日も来る日もライスとビーンズを食べ、ロシア語で書かれた本は手に入る限りなんでも読んだ。月に2回、司書が新しい本を届けに来た。「ホリデーのようだったよ」とセルゲイは言う。ドストエフスキープーシキントルストイといった古典をむさぼるように読んだ。

 

抑留されて3ヶ月以上が過ぎた日、2人はともに保釈された。セルゲイは1月13日に出所し、マクシムはその5日後だった。タコマに住むウクライナ人司祭で、ウクライナとロシアから来た難民の世話をしている人物が、身柄引受人を買って出た。あるボランティアが2人に対するアメリカ政府の扱いを詫びると、2人は穏やかに彼の言葉を止めた。「ノープロブレム、大丈夫だ」とセルゲイは英語で返答した。彼はアメリカ政府が国境を渡ってくる人間を調べる必要性を認めている。しかし取材の終わり際に、彼は本心を明かした。「嫌な気持ちだったよ。こんなことが自分の身に起こるとは思わなかった」

 

2人は楽しく未来のことを思い描いている。「希望でいっぱいだよ」とセルゲイ。数ヶ月以内には働けるようになる。2人は当初、慣れ親しんだ北極気候のアンカレッジに行くことを考えていた。「俺たちは北に生きる人間だからな」これもセルゲイの言葉だ。だが根っからの経営者として、いまセルゲイは「需要と供給」のある場所ならどこにでも行くと語っている。勾留から解放されてたった5日しか経たないのに、彼はビジネスのアイデアを興奮気味に喋っていた。タコマに大量のプラスチックとアルミニウムが投棄されていることに気付いたので、リサイクルの事業を計画しているのだ。今のところ、マクシムの野望はそれよりも控えめだ。彼は自分の釣り船と再会したいそうである。■

Charlie McCannは1893マガジンで特集記事を担当しています。

 

訂正(1月24日):最初に配信された記事ではマクシムの船の全長を13フィートとし、またアンカレッジで2人に面会した上院議員をダン・サリバンだとしていました。実際の船の全長は16フィートであり、面会した上院議員はリーサ・マーカウスキーです。お詫びして訂正します。

 

👇原文👇

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訳した人間による追記

この2人のニュースは日本でもそれなりに報道されていたので、覚えている人も多いかもしれません。

自分もたまたま覚えていたのでそれなりに興味をもって読んだのですが、武勇伝が一足先にアメリカナイズされているようで面白かったです。すごい人はどこに居てもすごいですね。

ただ、ウクライナでは国民が一丸となって抵抗している様子が報道される中、ロシアからは大量の兵役拒否者の存在が伝えられていたりと、非対称戦争のもつ居心地の悪さのようなものを今後もそれとなく感じていくことになるのでしょうか。

*1:欧米で用いられる大西洋中心の世界地図では、シベリアが右上の端に来ます。

*2:海面を強風が吹くことで発生する白波(white cap)は嵐の指標にもなります。いつか越えなむ妹があたり見む。

*3:この2人の航路の大半は沿岸沿いなので、岸に戻ったといってもスタート地点からやり直したわけではないようです。

*4:難民の地位に関する1951年の条約 – UNHCR Japan

イギリスで起きている言論の自由の危機(翻訳)

誰かを不快にさせるのが犯罪なら

 

時々、トム・ムーア大尉*1の人気ぶりは熱にうなされた夢のようだったと思う。2020年の3月にイギリスでロックダウンが始まった時、第二次大戦を戦った99歳の退役軍人は自宅の庭を歩行器で往復しながら、NHS(国民保健サービス)へのチャリティを呼びかけた。そして目標額の1000ポンドに代えて、彼は3300万ポンドを稼ぎ出したのだ。女王は彼にナイトの爵位を与えた。”You’ll Never Walk Alone”のひどいカバー*2をトム大尉、マイケル・ボール、看護師の合唱団が演奏し、チャートの一位に輝いた。彼の名を冠したジンが発売された。その年の大晦日には、300機のドローンが大尉の姿をロンドンの夜空に映し出した。

 

しかし、この物語の中で最も異様な出来事は、大尉の死後の2021年2月に起こった。グラスゴーに住むセルティックファン、ジョー・ケリーが次のようなツイートを投稿したからだ。「良いイギリス兵なんて死人だけだ。老害はとっとと燃やしとけ」*3。ケリーが削除するまで20分ほどオンライン上にあったこの投稿のために、彼は逮捕されて牢屋行きになりかけた。そして最終的に150時間の奉仕活動と、18ヶ月間の監視を宣告されたのである。

 

誰かを不快にさせる行為は、イギリスでは犯罪なのだ。2003年に施行された通信法によると、「著しく不快な」または「品位を欠いた」メッセージを送った者は、媒体がTwitterだろうとWhatsAppだろうと刑務所に行く可能性がある。この法律の起源は、1930年代に変質者が女性の電話交換手に卑猥な言葉を投げるのを止めさせようとしたことにあるが、それが今や愚かなツイートを取り締まるのに使われているのだ。その結果、インターネット上の無礼な振る舞いは事実上の違法行為となった。

 

言論の自由の庇護者を自認する政府にとっては、嘆かわしい状況だろう。保守派の閣僚たちは、キャンセルカルチャーや学生検閲官(sensorious student)の度を越した活動を苦々しく思っているかもしれない。しかし、それらの基盤となっている権力――つまり、不用意な発言をした人間を牢屋送りにできる現状に関しては、英国政府は喜んで非自由主義的な体制を維持しようとするのだ。

 

ケリー氏を刑務所に送るところだった条項を廃止する計画があったが、既に断念されている。オンライン社会における幅広い改革の一環として、この条項は置き換えられる予定だった。この案が通っていれば、単に著しく不快なだけの発言は問題とされず、深刻な苦痛を引き起こすメッセージのみが処罰の対象となるはずだった。この方針は法改正を提案する法制審議会によって勧告されていたが、英国政府は下院からの批判を受けて改正案を白紙にした。代わりに、腐った古い条項が法令集に残り続けるだろう。

 

既存の法への追従は、演説や抗議活動の場での性急な取り締まりをもたらしている。2020年、ウィンストン・チャーチル像がロンドンの抗議活動で破壊されたあと、保守派の下院議員たちはより厳格な法規制を要求した。デモでよく起こるように、記念碑を損壊したものは誰であれ、最大で10年間を刑務所で過ごすことになり得る。これは広く支持される考えなのかもしれないが、しかし自信に満ちた社会や、表現の自由を守ろうとする政府が見せる兆しではない。

 

その代わり、言論の自由をテーマにしたカリカチュアが数を増し、中高年が10代の子供たちにひっきりなしに腹を立てている様子が描かれるようになった。保守党政権は、大学内の言論の自由に関わるポチョムキン法案を推進している。パンデミック以前、大学で外部から講演者を呼ぶイベントのうち、キャンセルされたものは0.2パーセントだった。新たな法案の下では、大学と学生団体は一度与えた開催許可を撤回することが難しくなる。ごく少数の学生による活動が、意見表明自体に投獄の可能性が付き纏うという、遥かに重大な問題を覆い隠してしまっているのだ。

 

権威主義的な性格で知られる労働党は、この問題に触れたがらない。党首のキア・スターマーはかつて人権派弁護士としてキャリアをスタートさせ、革長靴を履いた権力と戦った。その後、英国の検察局長となり、革靴の味を覚えた。ドンカスターの空港に明らかに冗談と分かるような爆破予告*4をした無害な間抜けのポール・チェンバースが検察の取り調べを受けていたとき、サー・キアは局長の任にあったのだ(チェンバースの有罪は最終的に覆された)。

 

法律違反とされた人々のほとんどは同情に値しない。今年のはじめ、誘拐と殺人の罪で有罪となった警官のウェイン・カズンズと暴力的なメッセージをやり取りしていたとして、警官2人が12週間の刑を言い渡された*5控訴審が継続中)。もし、この会話が彼らの誰かの自宅で私的に行われたものなら、起訴される余地など全く無かっただろう。嫌悪すべき振る舞いであっても、現実世界の法に反しないならば、WhatsAppチャットのような私的なテキストチャット内でも合法であるべきなのだ。枢機卿のリュシュリューはかつてこう述べた。「もっとも正直な人の手になる文章を六行ばかり寄越してくれれば、その中から彼を縛り首にする要素を見つけてみせよう」*6。法があまりに広く適用されれば、それだけ過大な人数をロープの下に送ることになる。

 

あわててツイート、牢屋で後悔*7

言論の自由は、英国政府のレトリックが現実と一致しない領域のひとつだ。時には、この欠点が好ましいこともある。保守党は2010年に人権法の改正を公約したが、改正も撤廃もできなかった。また、平等法と難民法についても何年も前から公約していたが、結局どちらにも手を入れていない。だが言論の自由に関して、政府の鈍さは問題だ。

 

政府の外には行動を起こしている人もいる。国内では埒が開かないため、ケリー氏は欧州人権裁判所で有罪判決に異議を申し立てる意向だ。そのため、活動団体のthe Free Speech Unionを通じて1万8000ポンドの寄付を募っている。言論の自由を保障し、主権を掲げるはずの英国政府が、悪名高い「外国人裁判官」*8の要請でしか非自由主義的な法律を廃止できないとすれば、それは不合理なことだろう。イギリス人が考える言論の自由は、待ち行列や王室同様にイギリス的なもので、あたかもこの国が常に自前のアメリカ修正第一条*9のようなものを享受してきたと思い込んでいる。しかし、言論の自由に横たわる非自由主義的な考えは、イギリス人の国民精神に深く根付いている。もし英国政府が真剣に表現の自由の保障を考えるなら、まずは自国の法律から始めるべきなのだ。■

 

この記事は印刷版の英国セクションに「礼節に気を配れ(さもないと牢屋行きだ)」の題で掲載されました。

 

👇原文👇

www.economist.com

*1:日本語の記事があるのは凄いね!

トーマス・ムーア - Wikipedia

*2:気になった人向け。キャプテン・ムーアの合流は1:50頃です。

www.youtube.com

*3:原文は “The only good Brit soldier is a deed one, burn auld fella, buuuuurn”

元のニュアンスはもうちょっとラフかも

*4:チェンバースさんの予告はこんな感じ👇

"Crap! Robin Hood airport is closed. You've got a week and a bit to get your shit together, otherwise I'm blowing the airport sky high!!"

(クソ!ロビンフッド空港が閉鎖された。一週間以上もこのままなら、いっそ空港を跡形もなく吹っ飛ばしてやんよ)

www.bbc.com

*5:一応補足しておくと、この2人の警官は犯罪に関わっておらず、共有されたメッセージの内容もカズンズの凶悪犯罪と直接関係しているわけではない。3人は"Bottle and Stoppers"というWhatsAppグループを作り、子供や障害者にテーザーガンを当てたり、同僚の女性をレイプするといった内容の冗談を交わしていた。詳細は以下の記事より。

www.bbc.com

*6:ググったところ、この引用はアポクリファの可能性が高いそうだ。そもそもリュシュリューの言葉そのままではなく、彼に近しかった人間がその口癖を伝えたものらしい(この点はヴォルテールの「君がそれを言う権利を~」と似ている)。また、本来は6行ではなく2行だったそう。質問サイトの回答だがソースとかも載ってるので以下のURLを参考にした。

history.stackexchange.com

*7:原文は"Tweet in haste, repent in jail"。これは"Married in haste, repent at leisure"(あわてて結婚、ゆっくり後悔)という諺に掛けたもの。

*8:この辺はBrexitと同時に、香港の最高裁判官のほとんどがイギリス人であることを踏まえた表現かもしれない(現在は別の問題に晒されていますが)。

*9:アメリカ合衆国憲法修正第1条 - Wikipedia

ワールドカップは金の無駄(翻訳)

サッカーファンがカタールをケチだと非難することはないでしょう。男子サッカーW杯の開催権を勝ち取って以来、このアラブの国は12年間で3000億ドルを費やしています。大会から国家経済に返ってくると見込まれる金額は、たったの170億ドルなのに。どんちゃん騒ぎにつぎ込まれた大半は建設費用で、その用途にはサッカー最大の祭典に現れる150万人の来訪者を運ぶための地下鉄網も含まれています。運営組織は、最後のゴールが決まった後も全ての設備を運用すると言い張っています。彼らがそう願うのは当然ですが、投資という観点では、大規模なスポーツイベントはほとんど常に失敗に終わります。

 

ローザンヌ大学の研究者たちによると、1964年から2018年にかけて行われた36イベント(W杯や夏季冬季の五輪など)の内、31イベントが巨額の損失を計上しています。彼らが分析した14のW杯の内、利益を上げたのはたった一つでした。2018年のロシアW杯は巨額の放映権料に後押しされ、2.35億ドルの余剰利益を得ています。それでも、この大会の投資収益率(ROI)はたったの4.6パーセントです。(1986年メキシコW杯のデータは不完全ですが、おそらく損失を出しています)

 

主要な経費のほぼ全ては開催国にのし掛かります。競技を取り仕切るFIFAは運用コストのみを負担しますが、収益の大部分を持って帰るのです。チケット売上、スポンサー収入、放映権料は主にFIFAの金庫に収まります。たとえば、前回のW杯でFIFAは54億ドルをゲットし、その一部が代表チームに分配されました。

 

ローザンヌ大学のデータに含まれるのは、スタジアムの建設など会場に掛かった費用や、人件費などの後方業務のコストのみで、カタールで新たに建設された地下鉄やホテルといった間接的な費用は計算に入っていません。インフラの幾つかは長期的に経済を活性化させますが、高額なスタジアムの大半はいずれ使用されなくなり、イベントが周辺地域を発展させることは稀です。

 

開催都市の住人たちは、政府がスポーツイベントに数十億ドルをつぎ込むことの利点に疑問を持ち始めています。その結果、ホストに立候補する国は少なくなりました。2016年の夏季オリンピックには7つの都市が名乗りを上げましたが、2024年大会に最終的に手を挙げたのはたった2都市でした。

 

これらの巨額コストは古くからスポーツの世界に存在したわけではありません。1966年のW杯には16チームが参加し、選手一人あたりのコストは20万ドルでした(2018年の物価に換算)。2018年大会では、この額が700万ドルに跳ね上がります。大会のたびに新しいスタジアムを建設するので、コストは増大してきました。カタール大会で使用される8つのスタジアムの内、7つはゼロから建設されています。1966年のイングランド大会では、新規に建設されたスタジアムはありませんでした。

 

経済的な問題は抜きにしても、カタールはホスト国に相応しい名声を得るのに苦労しています。ある調査によれば、英国メディアがW杯を報じた記事の3分の2は批判的な内容で、砂漠で行われた人権侵害に焦点を当てていました。スタジアム内のアルコールが突然禁止されたこともファンの不興を買う可能性があります。世間一般のパーティー同様、主催者の立場はそれほど嬉しいものではありません。

 

👇原文👇

www.economist.com

 

カタール以前の歴代W杯では日韓大会の会場コストが突出していますが、五輪も含めた最高額は2014年冬季のソチ五輪だったようです。

https://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/0308518X221098741

 

「何歳からウクライナに連れて行かれるの?」 戦争がロシア人エリートを追い詰める(翻訳)

匿名寄稿者

 

家庭教師は混迷の国に別れを告げる


9月下旬のこと。ウラジーミル・プーチンが全国的な動員令を出して間もない頃、14歳になった教え子が父親に尋ねているのを偶然耳にしました。不安げな様子で「何歳になったらウクライナに連れて行かれるの?」と。父親は少年を抱きしめて、まだ若いから大丈夫だと安心させていました。この家族と過ごした月日の中で、ボスが子供に向けてこれほど愛情を露わにしたのは見たことがありません。


以前はもっと血気盛んな子でした。2月に最初の「特別軍事作戦」がウクライナで始まったとき、彼は私にロシア政府の方針を厳かに繰り返してみせ(ロシアは強大で正しく、ウクライナは真の国家ではない)、学校では友人と愛国的なジョークを話していました。近頃はしかし、彼の広めるミームのすべてが親ロシア的でなく、ウクライナ発のものすら混ざっていることに気が付きます。また別の日には、有名なビデオゲームのキャラクターにウクライナ兵が扮するTikTokクリップを私に見せてきて、さらには友人とそのクリップを再現した映像も披露してくれました。真似しているのがウクライナ兵だと分かっているの?と尋ねると、肩をすくめられました。


さらに深刻なメッセージが、混乱するソーシャルメディアの中で出回っているようです。上記のハグを目撃した直後、彼と一緒に宿題をしていると、教え子は不意にこう言いました。「ロシアは戦争に負けると思う」と。なぜそう考えたのか尋ねると、「ただそう聞いただけだよ。誰もあそこで戦いたくないんじゃないかな」 宿題はそのまま再開されましたが、彼が言ったことの重みは中々遠のいてくれませんでした。

 

戦争が始まって以来、愛国的な確信を薄れさせてしまったのはこのティーンエイジャーだけではありません。誰かが街の建物正面に大書した巨大な”Z”(プーチンの侵略を支持するシンボル)は、今やもうありません。戦場でのロシアの躍進を揶揄する人もいますが、咎める声はありません。召集が空気を変えてしまいました。


ロシアでは徐々に男性を見かけなくなりつつあります。数十万人が動員され、それより遥かに多くの人が徴兵を逃れたからです。最近、カフェでトルコにいるボーイフレンドについて話す女性たちを見かけました。軍隊もあまり尊敬されなくなっています(「ロシア兵は世界で二番目に優秀だと言われるけど、私の夫は三番目か四番目がせいぜいだと思うわ」というジョークも出回っています)。だから徴兵逃れもあまり恥ずかしいことではありません。

 

“I think Russia is losing the war. That’s what I heard. I think nobody wants to fight there”

 

私の知り合いで、パートナーが国を去ったという女性のうち幾人かは、彼女たち自身も知らなかったタフネスを発見しつつあります。ある友人は国外のボーイフレンドに送金するために仕事を掛け持ちしています。トルコに出奔した彼には収入がないからです。彼女はボーイフレンドが召集を逃れて安全でいるのにほっとしていて、疲れた様子など微塵も見せません。別の友人もボーイフレンドのために同じことをしています。「彼は私を10年も支えてくれたの。今度は私の番よ」と彼女は言います。


反対に、近しい人を戦地に送り出す人々は取り乱しています。友人のひとりが泣きながら電話を掛けてきて、聞けば半分血の繋がった弟が召集されて、10月の終わりにウクライナに行くと言うのです。「彼は怖がってるわ。手紙が来てお父さんと一緒に泣いてたの。まだ若いのに」 彼女は弟が死ぬことを確信しているようでした。

 

知り合いで戦争に行った人はいませんが、ボスのボディガードを務める30代の青年は、はっきりと召集を予期しています。動員が発表されてからの数日間、彼は私用の電話のために何度も席を外していました。最近彼と二人きりになる機会があったので、どうするつもりなのか尋ねてみました。「出ていくなんて無理だよ。英語も話せないし」と返されました。「ここでの仕事に満足してる。トルコに行って、何ができるんだ?」 彼はせめて、呼び出される前に妻を妊娠させることを望んでいます。

 

Men are becoming less visible in Russia: hundreds of thousands have been conscripted and many more are fleeing conscription

 

私は夜に街に出かけるのが好きですが、一見して外国人だと分かる風貌なので、かつてロシアでは酔っ払いに一方的に絡まれていました。大半は愉快な出来事です。「お前はなぜここにいる? お前の国の男はみんな女で、女はみんな男なのか? ここじゃ違うからな」とある知人は2018年にわめいていました。しかし、今や戦争が酔いを覚ましてしまったようです。最近近所のバーで電話を掛けて、それが英語でのやりとりだったのですが、通話を終えると同時に険しい顔で一人飲んでいた男から、イギリスで徴兵が行われたことはあるかと尋ねられました。第二次大戦以来、そんなことは無かったと思う、と答えると、彼はこう言いました。「良いね。この国のような暮らしなどあってはいけない。君は何でここにいるんだ? 俺のように、ここにいなければならないわけじゃないだろう」

 

ここいらが潮時でした。過去十年間の大半において、私はロシアを故郷のように考えていました。それが今や、私の理解が及ばず、その一員ともなれない事態の只中にいるのです。四日後に、私は荷物をまとめて出発しました。■

 

筆者は最近までロシアに住んでいた。名前や詳細のいくつかを変更している。

彼の最初の記事はこちら、二番目の記事はこちら、その他のウクライナ侵略に関する証言はこちらから。

 

👇原文👇

www.economist.com

 

訳した人間による追記

以下の記事の続き

831.hateblo.jp

831.hateblo.jp

 

今となっては何でこんなもの訳したんだろう。