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道徳に関する個人的な覚え書き

 この話は自分が浪人していた頃、いわんや自ら進んで語るに似つかわしくない時代の出来事であるためか知らずか、語り口にも内容にも少なからぬ改変が加えられており、しかしながら、この挿話の出発点であり、某アイリッシュの作家が「記憶の娘たちの作り話」と書いた歴史そのもののように、ひとまず存在したには違いない過去の記録であること、したがって、一部の賢明な読者によってこの話し手が推察された場合にも、文責の一切は私に帰せられるべきことをはじめにお断りしておく。
 わざわざ書き残すようなことなのか、という疑問には一考の余地があるけれど。
 
 
 
 その日の授業は世界史だった。
 かの有名な劉備項羽を倒して天下統一、かくして前漢の世が始まった。跡を継いだ文帝は内治を強化、そして七代武帝が登場する。
 武帝は財政を強化するとともに、儒教を国教化したことで知られている。
 
儒教を国教化したことで知られている』
 
 そこまで説明したあと講師はチョークを置き、皆の顔を見回して聞いた。今の話におかしなところはないか、と。
 
 黙りこくった生徒たちをみた講師は満足げに頷き、こう続けた。儒教の開祖は誰だ?、と。
 
「知っての通り、儒教の開祖は孔子です。そして彼は春秋戦国時代の人間です。意外なことに、当時の彼は人々にあまり相手にされませんでした。本当ですよ。
 そんな相手にされなかった彼の思想がなぜ前漢になって復権し、国教にまでなったのか、不思議じゃありませんか? どうでしょう皆さん……? 理由が分かる人はいないようですね。おそらく高校では絶対に習わなかったでしょう。
 では説明しましょう。孔子が生きた時代は戦乱の世の中でした。そのような状況下で道徳を説こうにも、当時の人々には彼を相手にする余裕が無かったのです。命がけで戦っているのですからね! その代わり、より実用的な知恵を専門とする法家、戦争のための兵家といった思想家が重用されていました。
 さて、時代は変わり、前漢の時代になると平和が訪れました。兵家と法家の時代は区切りを迎え、平和の時代にふさわしい思想が台頭します。それが儒教だったのです。
 なぜ儒教が国教化したのか。様々な背景がありますが、ひとつ言えることは、儒教には上下関係を非常に大切にする特徴があった、ということです。
 『三歩下がって師の影踏まず』という言葉をご存知ですか。これは江戸時代の言葉だったと思いますが、儒教の精神をよく表しています。弟子が尊敬する師の影を踏むことすら恐れおおいと考えて、三歩だけ下がって影も踏まないようにした、という故事です。
 ところでこの『三歩下がって師の影踏まず』、この故事に師の意思は絡んでいませんね。弟子が自発的にそうしているだけです。当たり前ですね。自分の影を踏まれたからといって怒る人はいませんし、つまり弟子に強制するわけもありません。『俺の影を踏むなぁ!!』なんて怒る人がいたら……完全に頭がおかしい人ですね(笑) そんな奴の影は積極的に踏んでしまえばいい(笑)。
 儒教もこれと同じで、表向きはあくまで内面の心を磨いた結果が行動に現れるというスタンスを取っています。師を思う気持ちが行動に現れるわけですね。
 ところが、私の高校時代の話をしましょう。数学の先生に態度が生意気だと叱られたときのことです。こう怒鳴られました。『三歩下がって師の影踏まず、という言葉を知らんのか!!!』(笑)
 今の話を聞いた皆さんはこのおかしさが分かるでしょう。『それは師であるお前が言うことじゃないだろ!』、と。それが正しいですよ。まったくその通りです。
 しかしながら、実はここにひとつの真実が含まれています。道徳とはしばしばこのように変質してしまうものなのです。
 それはおそらく、前漢儒教においても同じだったのでしょう。『上の人間を敬え!』と。つまり、師を敬うべしという心構えが、上の立場から強制されるものになる。その他の美徳についても、自主的に実行されるはずの項目が、いつのまにか義務になってしまう。
 このようにして上下関係をより強固に、平和な世の中において上の立場に立つ人間をより安泰にするために、儒教は利用されたのだと私は考えます。
 私の言っていることは極端に聞こえるかもしれません。それは仕方のないことだし、それに対して釈明しようにも時間は限られている。今はただ、倫理的な規範というものは総じてこのような特質を備えていると断言するに留めておきます。
 皆さんにはよく言っておきましょう。道徳とは危険なものです」