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良いキャンセル、悪いキャンセル(翻訳)

 

(注:本文では「コールアウト」となっていますが、日本では「キャンセル」の方が馴染み深いのでタイトルのみそうしました)

 

コールアウトはオンライン文化の大きな特徴だ。しかし、オバマが言ったように、他人の誤りを指摘するのは、ただ自分が気持ち良くなるためのものではない。

 

SNSに疎い人でも、次のような経験をしたことはあるかもしれない。あなたは突如として恐怖に駆られる。言うべきでないことを口にしてしまった。そして、あなたの発言に他の人も気が付いた。

 

あなたはコールアウト(告発)されてしまった。間違いは重大で、取り返しがつかない。事件が人生全体に影響したらどうしようと不安になる。

 

コールアウト文化はある意味、社会から疎外された人々やその理解者が、改革の必要性や不正を訴えるツールとして何世紀にもわたって機能してきた。不平等に対する直接的な行動は、公民権運動からスタンディングロック*1に至るまで、数えきれないほどの社会運動を支えてきた。

 

しかし、現代の「コールアウト」といえば、一般にはソーシャルメディア上で発生する人間同士の対立を指している。本来の理屈からいえば、コールアウトは非常にシンプルなものであるはずだ。誰かが間違いを犯せば、人々が指摘して、二度と同じことをしないよう努めればよい。しかし、インターネットを少々見て回るだけで、コールアウト文化がとんでもない不和の種であることをあなたは知るだろう。

 

今週シカゴで行われたオバマ財団のサミットで、オバマ前大統領はこう述べた。曰く、コールアウトは、まるで自らが変化を起こしているような錯覚を与える、たとえその内容が真実でなくても。「他人の良からぬ振る舞いや言葉遣いをツイートやハッシュタグで発信し、満足して悦に入るというわけだ。『どうだ、俺って進歩的だろ? コールアウトしてやったぜ』とね。そんなものは運動ではない」*2

 

コールアウトの賛否が分かれる理由は、しばしば現状に一石を投じるからだ。それは、不快感や攻撃を引き起こすこともある。たとえば、カナダ人運動家のノーラ・ロレートは、去年ジュニアアイスホッケーチーム「フンボルトブロンコス」のバスが事故*3にあった後に、気前よく1520万カナダドルもの寄付が集まった一因は「犠牲者が若い白人男性だったからだ」とツイッターで仄めかして物議を醸した。また今月の初めには、エレン・デジェネレス*4ジョージ・W・ブッシュとの友情および、誰とでも仲良くする「クンバヤ主義」*5についてツイートしたことを受けて、批判者たちは愛想の良さが純粋な善ではないことを指摘していた。

 

コールアウトは三文芝居を始める口実であり、社会正義ではなくゴシップを引き起こす手段だと感じる人々もいる。先月、コリン・ルーニーが同じ英国サッカー選手の妻であるレベッカ・ヴァーディを情報漏洩で告発*6し、現実世界で昼ドラが始まった件を思い出すといい。あるいはこの夏、YouTuberのタチ・ウェストブルックとジェームズ・チャールズ*7の間で勃発した向こう見ずな諍いのことでもいい。

 

しかし、コールアウト文化を最も強く批判しているのは、それらを粗暴で自警団的な正義を振るう口実と見なしている人々である。「その熱狂は……批判者自身の精神的問題を和らげようと膨れ上がる」と、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストであるデイビット・ブルックスは表現している*8。ジ・アトランティック誌のコナー・フリーダースドルフも、「容赦ない試練」*9の手法があらゆる非マナー行為に対して用いられている、と書いている*10

 

コールアウトの問題点としてよく指摘されるのは、調子に乗って過剰な罰を与えることで、怒りを引き起こした加害者を被害者に転じさせてしまうことである。「善意および必要性から始まったはずの批判が、あまりにも呆気なく、残忍な引き回し*11に転じてしまうのです」と、活動家兼ライターのルビー・ハマド*12が書いている。

 

では、ここにひとつの問いが残る。コールアウト文化がもたらす社会的利益を、有害無益なデメリットなしに享受するにはどうすればよいのだろう?

 

コールアウトをよりソフトな形で行うべきと提言する人もいる。個人を非難することで、「人間は道徳的な高みに立ち、義憤に駆られ、また晒し刑に加わる人を呼び寄せる」 それは生産的ではない、と争いの仲裁を専門とするセラピストであるアンナ・リチャーズは言う。

 

リチャーズは、誰か個人をコールアウトする時に「還元主義的アプローチ」*13を採ることについて警告している。自分たち自身の間違いを弁明する時には、「私たちは実に様々な前提を考慮することができます」と彼女は述べる。「そう、当時はあれに対処しなきゃいけなかったし、そうする理由もあったから、みんなに従っただけなんだ」 でも、誰かが私たちを怒らせた時は、彼らの振る舞いが何に起因しているのかについて、既に起こった間違い以外のものを見ようとはしないのだ。

 

絶対的に正しいコールアウトの方法は存在しないが、リチャーズは批判を加える際の私たちが自らの動機を分析し、状況の文脈および起こり得る帰結を考慮することで、コールアウト文化が生産的に機能する手助けになると考えている。

 

もちろん、振る舞いを問題とされた人々が、オープンかつ謙虚な態度によって、自身の事件を取っ組み合いへの片道切符ではなく、学びのチャンスと捉えることができるかは、彼ら次第である。結局、人間相手の対立を解決する第一歩は、真摯に謝罪することなのだ。発端となった行為が意図的であろうとなかろうと。

 

残念なことに、謝ることが苦手な人もいる。リチャーズによると、謝罪するためには当人の強固な誇りが必要であるが、人々の多くは自信に欠けていて、間違えることを病的に恐れているのだという。

 

「既に足場が不安定な人にとって、ある種の間違いを強調することは、空のカップから水を抜く行為に等しいかもしれません」と彼女はいう。「私が一般的に目にするのは、当人の自意識が削られて限界に達してしまったり、学ぶことを拒否して反撃を試み、負け試合の席を立とうとしないケースです」

 

また、自己防衛本能から服従を申し出る人もいる。彼らは面目を保つための計算された謝罪は行っても、説明責任を果たすことはしない。(多くの人は、女優のジーナ・ロドリゲスが今月、またコメディアンのシェーン・ギリスが今夏に起こした人種差別的な侮蔑のケースについて、そう感じている)

 

リチャーズは共感主義的アプローチを争いの解決手段として信奉しているが、しかし平和や礼節を堅持する義務を被害者側に求めることについては慎重である。むしろ、他者への思慮に欠けた振る舞いを個人の中で正当化してしまうような、システム的な力学の根源に対して怒りを向けた方がよい、と示唆している。つまり、個人にではなく、より大きなスケールで影響力を持ち、変化をもたらすことのできる政府や企業の組織を相手にした方がよい場合がある、ということだ。結局、リチャーズは一日中争いの仲裁をしているが、個人が振る舞いを改めるケースは「私たちが考えるほど一般的ではありません」と述べる。

 

ことわざにある通り、「戦場は賢く選べ」ということだ。

 

 

しかし、良い結果をもたらすことは不可能ではない。ライター兼活動家のキティ・ストライカーによると、最近ネットフリックスのアニメシリーズ『ビッグマウス』の不正確なバイセクシャル描写に対して沸き起こった批判*14は、コールアウト文化の役割を示す一例だという。バイセクシャルの人間はトランスに惹かれない、という誤った表現により、クィアコミュニティの人々が怒りの声を上げたのだ。プロディーサーのアンドリュー・ゴールドバーグは謝罪し、今後の改善を約束した。

 

ゴールドバーグには他にもすべきことがあっただろうか? もちろん、批判者たちはもっと多様な脚本家たちを雇うことを提案したし、私個人の見方でも、彼が今後どのように作品を融和的なものに変化させていくかは、まだ不明なままだ。でも、償いとはプロセスであり、過ちを認め、学んでいこうとする意思を誠実に表明することから始めるしかないのだ。

 

「コールアウトがいじめと異なるのは、相手を罰しようとするのではなく、新しい振る舞いの形を構築しようとする点にあると思います」と、コールアウトをされる側にもする側にもなったことのあるストライカーは述べる。「基本的に、誰かがあなたをコールアウトした時には、彼らは原因となった振る舞いを改める態度をあなたに見せてもらいたいのです」

 


もし、あなたが不愉快な振る舞いを指摘されたとしたら。耳を傾け、学ぶ態度を見せることは難しいかもしれない、とストライカーは認めている。「時には不快な思いをしたり、怒りが込み上げることもあるでしょう。『どうしてこんな奴の言うことを聞かなきゃいけないんだ?』とね。そうなった時は、深呼吸してツイートを控え、こんな風に考えてみましょう。『オッケー、連中は自分に対して怒り狂っている。でも、その根本的な原因は何だろう?』」

 

「コールアウトされた時、私はこう思うんです。『最高ね。学ぶためのチャンスだもの』」とストライカーは言う。「許しなんていらないけど、ただ友達を傷つけたくはないから」

 

☟原文☟

www.theguardian.com

 

(訳した人間による補足)

RationalWikiの「キャンセルカルチャー」の項には、以下のような説明があります。

Cancel culture is a term whose definition varies depending on who you ask. It's the logical conclusion of the wider callout culture on social media, based on the notion that people who make "toxic" or "offensive" statements related to social justice issues can be grievously punished by an unassuming Twitter mob. According to people on the political center, right or even far-left, this is a legitimate and widespread phenomenon that poses a dire threat to free speech on par with the alt-right. According to the left, it is a strawman promoted by people who hate being called out for perpetuating bigotry.

 

(「キャンセルカルチャー」という言葉の定義は、尋ねる相手によってさまざまだ。これはソーシャルメディア上に広がるコールアウトカルチャーがもたらす帰結であり、社会的正義に照らして「有害」あるいは「攻撃的」な発言をした人物は、無数のツイッター利用者によって徹底的に罰せられるべきという考えに基づいている。政治的に中道、保守、あるいは極左の人々でさえ、このカルチャーは由緒ある広範な現象であり、オルト・ライト同様に言論の自由を脅かすものだという。しかし左派の人々にとっては、偏見を改めたくないがためにコールアウトを憎む人々が生み出した藁人形となるわけだ。)

Cancel culture - RationalWiki

しかし、「左派」の中にもさまざまな意見があるとは思うので、左派メディアであるガーディアン紙の記事を訳してみました。自分はどちらかというと左派とは言い難い人間ですが、今回の記事を読んで得るものは多かったように思います。

ただ、現実のネット炎上というのは苛烈な代物も多いのに、この記事はどちらかといえば穏当なユートピアを想定しているような印象も残りました。苛烈なケースは法律家の領域なのかもしれません。

 

*1:ノースダコタ州サウスダコタ州を跨ぐ先住民の居住地のこと。近年パイプライン敷設を巡る闘争が行われた。

Dakota Access Pipeline protests - Wikipedia

*2:関連記事

ネットの「キャンセル・カルチャー」に警鐘鳴らすオバマ氏 | NewSphere

*3:この記事が書かれたのは2019年なので、ここでいう「去年」とは2018年のことである。以下、去年や今月といった表現はすべて記事中の記述に従う。リンクはバス事故に関する記事

アイスホッケーチームのバスとトレーラーが衝突、死者15人に カナダ 写真10枚 国際ニュース:AFPBB News

*4:トーク番組「エレンの部屋」で有名な人

*5:クンバヤについてはよく分からなかったが、以下は参考URL

ここでのkumbayaはどういう意味ですか? | RedKiwi

*6:コリン・ルーニーは元マンチェスター・ユナイテッド所属のウェイン・ルーニーの妻、レベッカ・ヴァーディはレスタ―所属のジェイミー・ヴァーディの妻である。リンク載せるの面倒なので各自で調べてくれ

*7:どちらも美容系ユーチューバーらしい

*8:Opinion | The Cruelty of Call-Out Culture - The New York Times

追記(1/31):リンク先を訳した

831.hateblo.jp

*9:原文は“trial by fire”

*10:The Destructiveness of Call-Out Culture on Campus - The Atlantic

*11:原文は“tar-and-feathering”で、これは昔ヨーロッパやアメリカで行われた晒し刑のこと。体中にタールを塗り、羽毛を付けて引き回す私刑で、厳しい非難のたとえにも使われる。

*12:https://www.colourcode.org.au/articles/internet-pile-ons-are-no-substitute-for-real-life-change

*13:複雑な物事でも、それを構成する要素に分解し、それらの個別(一部)の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質や振る舞いもすべて理解できるはずだ、と想定する考え方

還元主義 - Wikipedia

*14:参考URL

Big Mouth accused of biphobia after controversial new scene

ただ、リンク先を読んでも批判の争点について理解することは難しいだろう。要点をいえば、パンセクシャル全性愛者)とバイセクシャル両性愛者)は異なる概念であり、ドラマでは両者を混同することで問題が生じたのだが、この場で深入りすることは止めておく。