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火炎瓶で戦車を燃やすには ウクライナ志願兵と巡る景色(翻訳)

タンクローリーの運転手、機械工、病院経営者は戦いに備える

 

ウクライナの北部、ポーランドベラルーシの国境に挟まれたリュボームリは、屋根の低い家が集まった小さな街だ。灰色の空の下は曇り模様だった。商店の多くは戦争を理由にシャッターを下ろし、人々はATMに並んでお金を引き出していた。明るい青色の玉ねぎドームと、教会の金色の尖塔が、枯木にカラスの憩う夕暮れを前にそびえ立っていた。

 

男が数人で市庁舎を警備していた。まだら模様の迷彩服に、結成して間もない地域防衛団の青い腕章を巻いている。エントランスに入ると、ホールには亡くなった兵士を偲ぶポスターが貼られていた。2014年にロシアが占拠したクリミアで戦った人々だ。1万の市民と14の村に囲まれたリュボームリの市長、ロマーン・ユスチュクは、街が行っている備えについて説明してくれた。新たな守備隊に加わる志願兵を登録し、戦火から逃れてきた人々を受け入れる態勢を整えているという。

 

学校は閉まっているが、近隣の道路を監視するボランティアに食事を提供するため、学食は稼働しているという。「なるべくいつものように暮らそうとしていますが、全ては戦争と国防に注力されています」と市長は言う。食料やお金、燃料の調達は、まだ困難な方ではなかった。目下必要なのは軍事用品だった。特に防弾ベストは、軍に加わり前線に向かう人々の基礎訓練に欠かせない。

 

市庁舎オフィスの椅子は壁に押しやられ、衣服やブランケット、おしめ、包帯、医薬品や医療用手袋を詰めた段ボールが部屋中を満たしていた。これらの品々は必要に応じて東部の包囲された都市に送られることになる。市長にとって、このような業務は通常の関心から程遠いものだった。1月の彼は、町の再舗装と新たなスポーツ施設の建設を巡って、計画を検討する市議会の議長を務めていた。遠い昔の出来事のようで、今や思い出すのに苦労するようだ。「もうカレンダーは使っていません」と彼は言う。「ただ戦争が起きてからの日々を数えるだけです」

 

「もうカレンダーは使っていません」と彼は言う。「ただ戦争が起きてからの日々を数えるだけです」

市長は明らかに気を張っていた。リュボームリからわずか50kmの地点にはベラルーシとの国境があり、ロシア軍がその地に大挙していた。もしもロシアがウクライナの補給路とヨーロッパへの退路を断とうとすれば、彼らはここに来る。私たちは彼の幸運を祈り、彼は温かく握手に応じてくれた。束の間、張り詰めた表情が崩れて笑みが浮かんだ。私たちはもう一度握手を交わした。

 

屋外にある3つの記念碑を通り過ぎる。ひとつはドンバスの英雄たちで、2014年にウクライナ東部でロシアが支援する分離主義者たちと戦った。もうひとつはウクライナ民族主義者たちで、1920年から30年代にかけての苦しい反政府活動*1赤軍と戦い命を落とした。最後のものは防空壕*2の屋根にあり、ソ連当局が大祖国戦争と呼ぶものを記念していた。第二次世界大戦のことだ。

 

落ち着きと緊張の双方の空気が入り混じっていた。幼稚園では布切れを漁網に結び付けて、偽装用のネットを拵えていた。福音派の教会では人々が受付ホールのペンキを塗り直し、家を失った難民を収容できるように部屋を改修していた。上階では、信徒たちが熱心に祈っていた。体を前後に揺らしながら、暗唱する唇が素早く動いていた。女性たちは跪き、両手を正面に合わせ、黒いベールに覆われた頭を垂らしていた。空っぽのレストランでは1ダースもの女性がパン生地を伸ばしており、大量のヴァレーニキ(じゃがいもの団子)を街の防御に携わるボランティアと兵士に提供するために働いていた。ある女性は「国を守るためにできることをやる、私たちなりの闘志です」と語った。それを聞いた他の女性たちから歓声が上がった。「ウクライナに栄光あれ!」

 

この辺りにはプリピャチ沼地がある。森と沼の境界、10万平方マイルにわたる小川と湿原、軍隊を飲み込むことで名高い、パルチザンの聖域、侵略者の墓場。ヒトラーの敗走軍はこの地で総崩れした。かつてのナポレオンと同じように。

分厚い埃に覆われた車が外に三台停まっていて、中には数家族がすし詰めになっていた。”DETI”(子供たち)という言葉が、後ろの窓にテープの大文字で書かれていた。車の持ち主たちは二日の時を掛け、ドニエプル川*3沿いにあるニーコポリ市から逃れてきたのだ。辺りにサイレンが鳴り響いた。誰も動こうとしない。

 

夜が明けた。街の外れで、オレンジ色の明りがバス停に灯る。往来する車は仮設のゲートで速度を落とし、地域の防衛団員が書類を調べて中を覗き込む。今やこの手の検問所は、ウクライナ全土の至るところに存在する。数日前にある男が教えてくれたが、防衛団は二丁のカラシニコフを載せた車を見つけたという。「我々には何の力もない」と彼は言った。「警察を呼んだよ」

 

ボランティアは地元の男たちだ。長距離ドライバー、機械工、歯科医院を複数所有する男、そして「ならず者が少々」。「あらゆる専門家が揃っている」と彼らの一人が冗談を飛ばした。火鉢を囲んで手を暖めながら、私たちにお茶とサーロ(豚肉の脂身)を勧めてくれた。「ピクルスと一緒に食べると美味いよ」と、一人が大きな瓶を開けながら言った。男たちはよくよく貯め込んでいた。瓶の中身は乾燥させたトマト、ソーセージサンドイッチ、ポテトの袋、リプトンの黄色い箱、クリスマスの残りのジンジャークッキー*4などなど。ティーポットを温めるストーブでは木が燃えていて、傍らには薪が積まれていた。検問所の猫が私たちの足元を行き来していた。

 

男たちの多くは30代から40代だった。多くは迷彩の下にスウェットを着ていた(ある二人組は作業着だった)。彼らに銃は支給されていないが、何人かは自前の武器を用意し、猟銃やカラシニコフを持参していた。ワシールは灰色のひげをたくわえ、緑の毛糸帽子をかぶり、背後にカラシニコフを立てかけていた。「年金暮らしの66歳だよ」と彼は言った。「みんなこの街の出身で、ここに集まったんだ」

 

イヴァンという別のボランティアの案内で、防空壕*5を見にいった。イヴァンはコンクリートブロックを積み、松の木で屋根で作っていた。彼はブロックの間に残された隙間を指し、そこから機関銃を北に向けて、進軍してくる敵を狙えるのだと示した。濠の周囲は土で盛られ、土台部分には土嚢が敷き詰められている。最上部にはウクライナの国旗がなびいていた。正面には溝が掘られていて、対戦車用スパイクチェーンと、火をつけるためのタイヤが置かれていた。

 

兵士の一人を除けば、誰にも何の軍隊経験もなかった。彼は迷彩にウクライナ軍の黄色い腕章を巻いていたが、何も喋りたがらなかった。部隊に供給された装備は簡素なものだ。双眼鏡が数個、ワインボトルで作られた火炎瓶の木箱、火炎瓶でロシアの戦車を無力化する方法を記したラミネート図。加えて兵員輸送車、トラック、戦車の図表もある。

 

正面には溝が掘られていて、対戦車用スパイクチェーンと、火をつけるためのタイヤが置かれていた。

歯科医院を所有する男が、食料の入った袋や毛布の山を整理していた。「我々の手で小さな検問所をここに作ったんです」と彼は言った。「ちゃんと整理して、良い状態にしておきます。我々がいかに国を築き、より良くするのかを知る明日が訪れるように」

 

車で少し北上すると、どこからか森が迫ってきて、闇と区別が付かなくなった。この辺りにはプリピャチ沼地がある。森と沼の境界、10万平方マイルにわたる小川と湿原、軍隊を飲み込むことで名高い、パルチザンの聖域、侵略者の墓場。ヒトラーの敗走軍はこの地で総崩れした。かつてのナポレオンと同じように。

 

私たちは少数の男が集まる道の傍らに車を停めた。ここは検問所ではなく、防御陣地である。過去数日の間に200人以上の男が急いで築いたもので、掘削装置が無かったために作業はシャベルで行われた。彼らは50メートルにもわたって深く掘られた塹壕を見せてくれた。松の幹で補強され、モミの枝で覆われた土の山で守られていた。道路沿いには浅い溝がずっと掘られていて、中には石油を満たしたポリタンクが置かれていた。数本の丸太の上にはコンクリートブロックが積まれ、転がすことで道路上の障害物になる。対戦車用のスパイクや燃やすためのタイヤも備えられていた。森の中にはさらに多くの塹壕がある、と彼らは言った。

 

38歳になるという男は、これまでは戦争に行く必要など考えたこともなかったという。「でも、平和を望むなら戦わなくちゃいけない」

 

ウェンデル・スティーブンソンはソ連崩壊後のジョージアイラク戦争エジプト革命を取材してきました。彼女は定期的に1843マガジンへウクライナより寄稿しています。以前の記事はここここから読めます。

 

☟原文☟(ソースには写真も載っています)

www.economist.com

 

*1:この時期のウクライナには様々な苦難の出来事があったようです。二度の大飢饉を経験した時代でもあり、後者は特にホロドモールと呼ばれます

ウクライナ民族主義者組織 - Wikipedia

*2:防空壕」は原文だと”bunker”となっており、調べたところ本来は「掩体壕」という訳を当てるようです。訳した人間はこの言葉を知らなかったので馴染みのある「防空壕」としましたが、間違っていたらごめんなさい。なお「シェルター」とも呼称されるようですが、その訳語も誤解を招くと思い採用しませんでした

*3:ドニエプル川ウクライナを東西に分断する大河です。地理的にとても重要な存在で、ウクライナが敗戦した場合(考えたくないことですが)、この川が戦後の国境になるという見方もあります。

ドニエプル川 - Wikipedia

*4:ヨーロッパではクリスマスに人型のジンジャークッキーを食べる風習があります。

ジンジャーブレッドマン - Wikipedia

*5:ここも原文は"bunker"(掩体壕)です