野菜生活

新鮮お野菜王国のマーチ

死に際する願い(The Economist)

 脳卒中を起こしてからというもの、マリアの父はもはや喋ることもできなくなった。それでも娘は父に言葉を掛け続け、彼は祈り続けた。最後の日には多くの苦しみが訪れたが、息を引き取るとき、彼女の手を握った父は安らぎの中にあったのだとマリアは信じている。彼女自身の死については、大事なのは『精神の安らぎ』であり、それが最重要事項とのことだ。

 いささか感傷的な紹介になったこのブラジル人のエピソードは、エコノミストとカイザー家族財団(医療や健康に関する提言を行うアメリカの非営利団体)が共同で行った調査*1の中で収集されたものだ。少なくとも88%の人間が、『安らぎの内に臨終を迎えること』を『きわめて重要』あるいは『かなり重要』と考えている(表参照)。アメリカと日本では『家族に医療費の負担を掛けないこと』が最も重要視される結果となり、『きわめて重要』と答えた人がそれぞれ54%、59%にのぼった(日本人はたぶん葬儀費用のことを気にしている。平気で300万とかいくからね*2)。イタリア人の3分の1は愛する人と過ごすことを重視した。ブラジルは『痛みやストレスを減らすよりも、長く生きることを目指す』と答えた人の数が、他の選択肢をひとつでも上回った唯一の国だった。

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 宗教がこれらの違いのいくつかを説明してくれる。ブラジルでは他のどの国よりもカトリックが多い。おそらく多くの人間が、人生を可能な限り延長すべきとする教会の歴史ある主張に影響され、そのことに英雄的な価値さえ感じているのかもしれない。アメリカなどで起きた法廷闘争で、家族が長期にわたって植物状態になっている身内からチューブを外すよう求めたとき、教会は多くの場合反対の立場を取った(今どき論議の種になるのは、治療を拒否する患者の決断や痛みを除くための早期の死*3そのものよりも、積極的安楽死についてのみなのだが)。83%のブラジル人が、彼らがどのように死を迎えるかについての考えに、宗教が主要な役割を果たしていると回答した。この数字はアメリカでは50%、イタリアでは46%だった。

 日本では、宗教が意思決定に主導的な役割を果たすと答えた人はたったの13%だった。別の調査の結果では、日本人の大多数は自身を無神論者、もしくは無宗教と考えているようだ。しかし、『精神の安らぎ』は日本でも同じように重要視されている――それが死についての諸項目の中で2位につけているからだ。

 長く生きるか、穏やかに死ぬか、人々が重視するものの違いは、提供されている医療の質や、彼らの個人的な物事の受け取り方によっても左右される。90%のブラジル人が、彼らの医療システムを『まあまあ/不十分』と評価している。他の3国の数字は54〜61%なのに。ブラジルの憲法は全国民への無料の医療を包括的に保障しているが、システムはその理想を大幅に下回っている。既に3年にわたって足を引っ張っている不況が発生する以前でさえ、医療は頻繁に不安定になっていた。近頃では、リオデジャネイロを含む大都市で、資金難に陥った病院の廊下で死んでいく患者の姿が見かけられる。

 アメリカやイタリア、日本の学位を持った人々は、終末期のケアに関して、苦痛を短縮することに対し、延命を重視する議論が多過ぎると述べる傾向にある。教育を受けた人々にはまた、患者とその家族は、終末期の過ごし方を決定するのにもっと大きな役割を果たすべきと述べる人間が多い。

 約半数の黒人のアメリカ人と、それと同じくらいのラテン系の人々は、医療は死を防ぐことを軽視し過ぎていると答えた。この数字は白人では28%だった。他の調査によれば、マイノリティが病院で死ぬ可能性は白人よりも高い。裕福なアメリカ人は、収入の低い人間と比べ、家やホスピスで死ぬ傾向が強い。これら全てはひとつの苦い皮肉を示している。最も医療を必要としている人々がそれを受けられるのは、既に手遅れになった時だけなのだ。

 

原文はこちら

 

 

 

 

*1:カイザー家族財団によるレポート

Views and Experiences with End-of-Life Medical Care in Japan, Italy, the United States, and Brazil: A Cross-Country Survey | The Henry J. Kaiser Family Foundation

*2:ここで「何で医療費が葬式の話になるんだよ」と思ってしまってかなりグダった。てか他の国の人は葬儀の費用のことあんま考えないのか?

*3:尊厳死のこと

テレスクリーンと黄色い調べ

ジョージ・オーウェル1984年』の第一部七章で、テレスクリーンが唐突に歌い出すシーンがある。作中で「黄色い調べ(Yellow Note )」と呼ばれる音楽で、「一風変わった、耳障りでロバの鳴き声を思わせもする聞き手を馬鹿にしたような音調」高橋和久訳)と形容されるその曲の歌詞がこれ。

 

生い茂る栗の木の下で

俺はお前を売り、お前は俺を売った

奴らはあそこに横たわり、俺たちはここに横たわる

生い茂る栗の木の下で

おおきな栗の木の下でー

あーなーたーとーわーたーしー

なーかーよーくー裏切ったー

おおきな栗の木の下でー

  • 高橋和久訳『一九八四年[新訳版]』P120

大きな栗の木の下で
あなたと私
仲良く裏切った
大きな栗の木の下で

  • H.Tsubota訳『一九八四年(Nineteen Eighty-Four)*1

 

まず、童謡『大きな栗の木の下で』に即して訳した下二つの翻訳は適切ではない。

歌詞は原文だとこうなっている。

Under the spreading chestnut tree
I sold you and you sold me:
There lie they, and here lie we
Under the spreading chestnut tree.

 いい加減コピペが面倒になったので引用しないが*2、一応このラインは英語版の童謡の歌詞と類似している。しかし、理由については後述するが、「黄色い調べ」自体は別の曲だと考えるべきだ。

では何が原曲なのか。結論からいえば、実際に「黄色い調べ」のモデルになったのは以下の曲と言われている。

 

  • Glenn Miller - The Chestnut Tree

Underneath*3 the spreading chestnut tree
I loved him and he loved me
There I used to sit up on his knee
'Neath the spreading chestnut tree

There beneath the boughs we used to meet
All his kisses were so sweet
All the little birdies went "tweet-tweet"
'Neath the spreading chestnut tree

I said "I love you", and there ain’t no if‘s or but’s
He said "I love you", and the blacksmith shouted "Chestnut!"*4

 グレン・ミラー*5オーウェルの青年期に一世を風靡したトロンボーン奏者。戦時中に慰問楽団として従軍し、1944年12月、乗っていた航空機と共に英仏海峡で消息を絶った。

 

原曲を明らかにしたついでに一番上の新庄訳にも触れると、まず原曲の歌手が女性だから女性が歌うように訳すべき(8/23追記:この箇所に関しては微妙な問題が存在する。詳細は補足*6)というのがひとつ。それが英語圏の読者の想像する形に近いだろうし。

ただ、それにも増して重要なのが、もっと明るい雰囲気で訳出すべきということだ。新庄訳のような剣呑とした訳が相応しいとは思えない。これは英語圏でも誤解している人が多いけど、原曲の楽しげな雰囲気は間違いなく小説の場面にもそのまま持ち込まれている。

 

なぜそう言い切れるのかって? 初めに書いたように、「一風変わった、耳障りでロバの鳴き声を思わせもする聞き手を馬鹿にしたような音調」というのが作中の「黄色い調べ」の描写だった。では、この表現を思い浮かべながら上の動画を再生してもらいたい。まさしくそのものであることが分かるはずだ。

一体なぜオーウェルはこんな回りくどい表現を使ったんだろう。答えは簡単。『1984年』の全体主義国家にはジャズが存在しないからだ。全編くまなく探してもジャズなんて言葉は見つからない。歴史や文化が制限されるオセアニアでウィンストンはジャズを知らず、代わりに黄色い調べという呼称を用いたわけ。

童謡なんかじゃないってこともこれではっきりしただろう。

 

1984年』の世界における良き市民、明るい社会を描写したのがこの「黄色い調べ」だ。その原曲との乖離が全体主義国家オセアニアの歪みを読者の前に明らかにする仕掛けなのに、現在ある日本語訳ではそれが分からない。

 

 

*1:http://open-shelf.appspot.com/1984/part1/chapter7.html

*2:恣意性を排するためにここで引用する。

Under the spreading chestnut tree
There we sit both you and me
Oh how happy we will be
Under the spreading chestnut tree.

黄色い調べと非常に似ているが、なにぶん系統が近いので仕方ない。元々はキャンプの遊びの際に歌われる曲だったのを、ミラーが戦時下に録音したものが流行になり、またGHQの占領を契機に日本でも広まった。童謡として認知されているのは前者の影響らしい。

民謡収集家のアン・ギルクライストによると、その原型は 'Go no more a-rushing'と呼ばれる古いイギリスの歌であり、ジャイルズ・ファーナビーによるヴァージナル(チェンバロっぽい楽器)のアレンジ(その際には 'Tell mee, Daphne.'という名前になっている)などを経たとしている。元々は舞踏曲だったとする見方もある。

*3:小説のラインはUnderなのにこっちはUnderneathで別物じゃん、と思われるかもしれないが、これが党の管理する放送であることを思い出して欲しい。

勘の良い人なら気付いたかもしれない。作中で単語がシンプルなものに置き換わるロジックがあっただろう。これはニュースピークの影響と考えられる。

*4:この歌詞の最後、「鍛冶屋は叫んだ、『栗』」って何のことだ?と思った人がいたかもしれない(いないだろうけど)。実はこれ、オーウェルがわざわざミラーの曲を持ち出したそもそもの理由に繋がるかもしれない重要な点だ。

「鍛冶屋」とは何か。それは、アメリカの詩人ロングフェロー1840年に発表した『村の鍛冶屋』(The Village Blacksmith)という詩に由来する。(http://www.hwlongfellow.org/poems_poem.php?pid=38

 Under a spreading chestnut-tree
The village smithy stands;
The smith, a mighty man is he,
With large and sinewy hands;
And the muscles of his brawny arms
Are strong as iron bands.

「黄色い調べ」およびグレン・ミラーの曲のラインもこの詩に由来する。

そして、ここでいう栗の木(chestnut-tree)は、一般に正義や誠実さの象徴として解釈されることが多い。

このことは「黄色い調べ」が描き出すオセアニア社会についても示唆を与えてくれるだろう。『1984年』の世界では、誠実、潔白、正義の名のもとで裏切りが起こり、真実の道徳的価値が改変され、その結果人間の感情が破壊されることになる。

*5:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC

余談だけどミラーは同じく作中に出てくる 'Oranges & Lemons'のアレンジも手掛けていて、慰問楽団を率いていた陸軍航空隊時代に発表している。(良い曲なのでリンク貼りたいけど生きてるのが少ない……関連性薄そうだしいいか)

*6:'The Chestnut Tree'のビッグバンドによるアレンジには、39年のGlenn Millerより前に38年のIvor Kirchinによるものがある。

Underneath the spreading chestnut tree
I loved her and she loved me
There she used to sit upon my knee
'neath the spreading chestnut tree

そしてこちらの歌詞は男性視点となっている。新庄訳がこの版に則って行われた可能性を無視して安易な批判を加えるべきではないだろう。
付け加えておくと、知名度的にはMillerの方が高く、英語圏のインターネットでも原曲をMillerのものとしてやり取りしている例の方が多いようだ。

また、これまでに引用した通り、MillerやKirchinの詞にあるHeやSheは、黄色い調べの中ではYouになっている。もしかすると、性別を強調せず、中性的に翻訳するのが妥当なのかもしれない。ウィンストンと同じ悲劇がジュリアにも起こったことを考えても。

道徳に関する個人的な覚え書き

 この話は自分が浪人していた頃、いわんや自ら進んで語るに似つかわしくない時代の出来事であるためか知らずか、語り口にも内容にも少なからぬ改変が加えられており、しかしながら、この挿話の出発点であり、某アイリッシュの作家が「記憶の娘たちの作り話」と書いた歴史そのもののように、ひとまず存在したには違いない過去の記録であること、したがって、一部の賢明な読者によってこの話し手が推察された場合にも、文責の一切は私に帰せられるべきことをはじめにお断りしておく。
 わざわざ書き残すようなことなのか、という疑問には一考の余地があるけれど。
 
 
 
 その日の授業は世界史だった。
 かの有名な劉備項羽を倒して天下統一、かくして前漢の世が始まった。跡を継いだ文帝は内治を強化、そして七代武帝が登場する。
 武帝は財政を強化するとともに、儒教を国教化したことで知られている。
 
儒教を国教化したことで知られている』
 
 そこまで説明したあと講師はチョークを置き、皆の顔を見回して聞いた。今の話におかしなところはないか、と。
 
 黙りこくった生徒たちをみた講師は満足げに頷き、こう続けた。儒教の開祖は誰だ?、と。
 
「知っての通り、儒教の開祖は孔子です。そして彼は春秋戦国時代の人間です。意外なことに、当時の彼は人々にあまり相手にされませんでした。本当ですよ。
 そんな相手にされなかった彼の思想がなぜ前漢になって復権し、国教にまでなったのか、不思議じゃありませんか? どうでしょう皆さん……? 理由が分かる人はいないようですね。おそらく高校では絶対に習わなかったでしょう。
 では説明しましょう。孔子が生きた時代は戦乱の世の中でした。そのような状況下で道徳を説こうにも、当時の人々には彼を相手にする余裕が無かったのです。命がけで戦っているのですからね! その代わり、より実用的な知恵を専門とする法家、戦争のための兵家といった思想家が重用されていました。
 さて、時代は変わり、前漢の時代になると平和が訪れました。兵家と法家の時代は区切りを迎え、平和の時代にふさわしい思想が台頭します。それが儒教だったのです。
 なぜ儒教が国教化したのか。様々な背景がありますが、ひとつ言えることは、儒教には上下関係を非常に大切にする特徴があった、ということです。
 『三歩下がって師の影踏まず』という言葉をご存知ですか。これは江戸時代の言葉だったと思いますが、儒教の精神をよく表しています。弟子が尊敬する師の影を踏むことすら恐れおおいと考えて、三歩だけ下がって影も踏まないようにした、という故事です。
 ところでこの『三歩下がって師の影踏まず』、この故事に師の意思は絡んでいませんね。弟子が自発的にそうしているだけです。当たり前ですね。自分の影を踏まれたからといって怒る人はいませんし、つまり弟子に強制するわけもありません。『俺の影を踏むなぁ!!』なんて怒る人がいたら……完全に頭がおかしい人ですね(笑) そんな奴の影は積極的に踏んでしまえばいい(笑)。
 儒教もこれと同じで、表向きはあくまで内面の心を磨いた結果が行動に現れるというスタンスを取っています。師を思う気持ちが行動に現れるわけですね。
 ところが、私の高校時代の話をしましょう。数学の先生に態度が生意気だと叱られたときのことです。こう怒鳴られました。『三歩下がって師の影踏まず、という言葉を知らんのか!!!』(笑)
 今の話を聞いた皆さんはこのおかしさが分かるでしょう。『それは師であるお前が言うことじゃないだろ!』、と。それが正しいですよ。まったくその通りです。
 しかしながら、実はここにひとつの真実が含まれています。道徳とはしばしばこのように変質してしまうものなのです。
 それはおそらく、前漢儒教においても同じだったのでしょう。『上の人間を敬え!』と。つまり、師を敬うべしという心構えが、上の立場から強制されるものになる。その他の美徳についても、自主的に実行されるはずの項目が、いつのまにか義務になってしまう。
 このようにして上下関係をより強固に、平和な世の中において上の立場に立つ人間をより安泰にするために、儒教は利用されたのだと私は考えます。
 私の言っていることは極端に聞こえるかもしれません。それは仕方のないことだし、それに対して釈明しようにも時間は限られている。今はただ、倫理的な規範というものは総じてこのような特質を備えていると断言するに留めておきます。
 皆さんにはよく言っておきましょう。道徳とは危険なものです」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

めだかの学校

英語のなぞなぞのひとつに、

Why are fish smart?(魚はどうして頭がいいの)

と問いかけるものがある。答えはBecause they are always in schools.(いつも群れになっているから)で、in schools(群れになっている)を「学校にいる」と掛けている。まあ他愛もない冗談なんだけど、この話を聞いてふと思ったのが「めだかの学校」のタイトルのこと。直訳するとschool of rice fishになるが、こうなると単なる「めだかの群れ」になってしまう。英語版ではこの齟齬をいったいどうやって解決しているんだろう。英語版があるのか知らないけど。

大工よ、屋根の梁を高く上げよ

 短編『フラニー』そして中編『ゾーイー』、50年代半ばに発表されたこの著名な連作は、作者の著作の中でもとくに有名で、両者の間に発表された別のグラース家の物語がしばしば霞んでしまうように思える。短編『大工よ、屋根の梁を高く上げよ(Raise High the Roof Beam, Carpenter)』だ。1955年発表、長兄シーモアの結婚式に際しての一日が描かれる。
 
 陰が薄いからつまらない作品かというとそうでもなく、むしろ数あるグラース・サーガ中で最も展開が動く楽しい短編だ。ストーリーはこんな感じ。
 ことあるごとにその天才性を発揮するグラース兄弟、その長男シーモアは、今回も内なる精神のはたらきに唆されて自分が出るはずだった結婚式を欠席してしまう。残されたのは花嫁とその大量の親族、それに花嫁側と比較するとかなり少ない花婿の関係者たちだった。そしてこの物語は以上最後のグループの一人、シーモアの弟バディの手によって記録されることになる。
 ともかく華燭の典はぶち壊しになり中止、招待客を会場から移動させるための車が手配され、バディは怒り狂う花嫁の親族の一派と同乗することになる。肩身の狭い思いをしながら式場を後にするバディ。そして面倒ごとは簡単には終わらない。車に乗ったはいいものの、渋滞に巻き込まれ、行き先もろくに定まらない。花嫁の親族たちは車内でシーモアをこれでもかとばかりにこき下ろす。その当人の弟であるバディは当然反論もできず針の筵である。
 
 楽しい話でしょう?僕はそう思う。
 
 この短編はシーモアの才覚というより、シーモアと世間の乖離、そしてそのズレに振り回されるバディの苦労を描いていて、僕はむしろ『ゾーイー』なんかよりもよほどグラース家の絆を感じさせられて好きである。もっとも、この作品は単なるコメディのままでは終わらない。特にシーモアと世間の感覚の乖離は物語の終盤でかなり衝撃的な形をもって読者に呈示されるのだが、グラース兄弟はそんな困難を乗り越えてなお彼らの不安定な導き手たるシーモアを支える決意をみせている。この絆はもはや家族にしか通用しないものなのだろう。もしくは、バディの後ろの席に座った聾者のみせたような何か――。彼の残した吸い殻を白紙とともにシーモアに捧げるバディの行為は、シーモアに対する理解が無尽蔵の器を必要とすることの裏返しでもある。
 
 タイトルの話をしよう。タイトルの『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』は、作中でシーモアとバディの妹ブーブーが自宅の鏡に書き記したメッセージから来ている。
 
 大工よ、屋根の梁を高く上げよ。アレスさながらに、丈高き男の子にまさりて高き花婿来たる。先のパラダイス放送株式会社専属作家アーヴィング・サッフォより、愛を込めて。汝の麗しきミュリエルと何卒、何卒、何卒おしあわせに。これは命令である。予はこのブロックに住むなんびとよりも上位にある者なり

 

 このメッセージの前半は、古代ギリシャの女流詩人、サッフォの婚礼を祝う詩*1から引用された。「偉大な花婿が来た!」と、一見兄の結婚を手放しに喜ぶ文章にも読めるけれど、花婿の親族サイドが書く文章として少し不自然ではないだろうか。特に、最後の「何卒、何卒――。」の部分には陽気な前半と異なる不思議な、それでいて何か祈るような切実な思いが読み取れる。

 サリンジャーがサッフォを引用した意図は何だろう。おそらくそれがこの短編を理解する最大の鍵だ。結婚を手放しに祝福する古代の詩句に、サリンジャーは明らかに別の意図を組み込んでいる。

 

 余談だけど、引用に本来と違う意味を含ませてタイトルにするのはヘミングウェイ*2が『日はまた昇る』『武器よさらば』で使っていた手法でもある。

 

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

 

 

 

大工よ、屋根の梁を高く上げよ/シーモア-序章 (新潮文庫)

 

 

 

 

*1:Fr91 "EPITHALAMIA, BRIDAL SONGS" http://www.classicpersuasion.org/pw/sappho/sape08.htm

原文はもちろんギリシャ語。サリンジャーが引用したのはソース元にもあるH. T. Whartonの英訳

*2:サリンジャーヘミングウェイを嫌っていたことで有名だったりする

フラニーやんけ

ライ麦畑でつかまえて』で一躍脚光を浴びたアメリカの作家、J・D・サリンジャーは、当代随一のハイソな雑誌「ニューヨーカー」にて、高額な原稿料と自由で広い紙面、そして親身な編集長を味方につけ、当時の文壇で随一の勢いを誇っていた。50年代半ば、『フラニー』そして『ゾーイー』の二編の連作小説を発表した頃のことだ。
 特に後者の『ゾーイー』は、原語にして三万語を越える中編小説で(翻訳は文庫で200ページ近くある)、これをひとつの雑誌で発表するのは相当無茶な行為だったと思う。だが行為の無謀さに反して評判はすこぶる良く、『ゾーイー』は今に至るまでサリンジャーの最も主要な作品と見なされている。

 余計なこと書きすぎた。『フラニー』『ゾーイー』のメモだ。

 『ゾーイー』の前日譚、『フラニー』の冒頭において、少女フラニーは悩みを抱えている。周囲を取り巻く腐った世界に思春期にありがちな憤りを覚えているのだ。
「何よあいつら!」って……。このフラニーは大学で演劇部に所属しているのだが、実はそこで繰り広げられる競争に嫌気が差しちゃったのだ。競争は嫌い、張り合うのは嫌い。何故なら、フラニーは綺麗な世界に住んでいたいのだ。もううんざり。
 しかしながら、問題はそれだけではなかった。競争したくないフラニーなのに、自分も競争してしまうのです。自分が思うような人間になれない、理想に対して誠実になれない。この矛盾がフラニーを苦しめる。
 どうして人間は張り合おうとするの? 自分を大きく見せようとする人間のエゴには吐き気がする。そして――何より嫌なことに、自分もそうした人間の一人なのだ。無欲になりたい、とフラニーは願う。それが『フラニー』の土台となっています。

 『フラニー』の作者――J・D・サリンジャー――は、作風として、非常に賢い子どもを書いたことで知られています。特に彼の描いたグラース兄妹は大人顔負けの知性を誇り、実は『フラニー』のフラニー・グラースも例外ではない。だから、「無欲になりたい」という悩みを解決するにあたって、フラニーがとった方法はきわめて非凡でした。この人は自身の悩みを宗教と関連付けるのです。

 無欲になりたいフラニーは最終的に、「巡礼の道」というキリスト教の本(現実に存在するらしい)、この中に記されていた、真の信仰、キリスト教的な無私と寛容の精神を実現する方法を実践します。その方法とはこうだ。 
イエス・キリストの名前を唱えつづける」

 キリストを唱えつづける……半世紀前とはいえ、ニューヨークの女子大生としてどうなんでしょう。ちょっと洗脳っぽくて怖いけど。
 実はこの行為に関しては『ゾーイー』の前半でバラされている通り、サリンジャーキリスト教ではなく東洋哲学から着想を得たようです。
 インド古来のジャパムのようなアプローチをキリスト教に移し換え、我々日本人が「南無阿弥陀仏」と唱えるように、フラニーは「主イエス・キリスト、われに憐れみを垂れたまえ」と繰り返し、無私と寛容の精神を手にしようとする。そんなアプローチです。

 ともかくフラニーはキリストを連呼することによって自信を回復し、とある週末、彼氏とのデートに出かけます。この彼氏はかなりの高学歴。言葉の端々から自信が見て取れる。意識高い系という言葉は徐々に死語になりつつあるけど、ちゃんと頭もいい。そして優しい。そんな大学生です。
 そんな彼も、今のフラニーにとってはやっぱりエゴの塊でしかない。彼にイライラさせられて、自分を制御できなくなり、心中の悩みを吐露してしまう。私さいきん演劇部やめちゃったの。だってあいつらギラギラしてついていけないし、私までギラギラしちゃうんだもの。もううんざり。悲しいかな、悩みは彼に理解してもらえず流されてしまう。彼氏がフラニーをどう思ってるかというのもあるけれど、悩みがレア過ぎるのも一因だと思う。ますますイライラを募らせるフラニー。鎮まれ、静まれわたし。無私と寛容の精神よ。イエスさまが私についてるもの。
 フラニーの祈りむなしく、物語のラストでついに彼女は失神してしまう。デートは台無し。彼氏との溝は深まる。信仰はかくも無力であった。
 担ぎ込まれてベッドに寝かされ、なおもフラニーは唱え続ける。イエスさま、イエスさま、イエスさま。声なき言葉は語り始める。いつまでも、ずっと。

 大変に簡略化したけれど以上が『フラニー』の概要です。後日譚の『ゾーイー』ではフラニーの救済が語られます。

フラニーとズーイ (新潮文庫)

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フラニーとゾーイー (新潮文庫)

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ダァゴナイ

数日前にTwitterで考えていた、100万年に一度だけ夜が訪れる状況の天体というはややめんどくさい。が、二番の歌詞の100万年に一度だけ太陽が昇る日というのは地球のような惑星でも実現可能だ。めちゃくちゃ深い井戸のような穴を掘って公転周期の100万分の1の時間だけ日が差し込めばいい。

シエネの町の深い井戸の底で今日も彼らは戦っている。6月21日はダァゴナイの日。