野菜生活

新鮮お野菜王国のマーチ

イギリスで起きている言論の自由の危機(翻訳)

誰かを不快にさせるのが犯罪なら

 

時々、トム・ムーア大尉*1の人気ぶりは熱にうなされた夢のようだったと思う。2020年の3月にイギリスでロックダウンが始まった時、第二次大戦を戦った99歳の退役軍人は自宅の庭を歩行器で往復しながら、NHS(国民保健サービス)へのチャリティを呼びかけた。そして目標額の1000ポンドに代えて、彼は3300万ポンドを稼ぎ出したのだ。女王は彼にナイトの爵位を与えた。”You’ll Never Walk Alone”のひどいカバー*2をトム大尉、マイケル・ボール、看護師の合唱団が演奏し、チャートの一位に輝いた。彼の名を冠したジンが発売された。その年の大晦日には、300機のドローンが大尉の姿をロンドンの夜空に映し出した。

 

しかし、この物語の中で最も異様な出来事は、大尉の死後の2021年2月に起こった。グラスゴーに住むセルティックファン、ジョー・ケリーが次のようなツイートを投稿したからだ。「良いイギリス兵なんて死人だけだ。老害はとっとと燃やしとけ」*3。ケリーが削除するまで20分ほどオンライン上にあったこの投稿のために、彼は逮捕されて牢屋行きになりかけた。そして最終的に150時間の奉仕活動と、18ヶ月間の監視を宣告されたのである。

 

誰かを不快にさせる行為は、イギリスでは犯罪なのだ。2003年に施行された通信法によると、「著しく不快な」または「品位を欠いた」メッセージを送った者は、媒体がTwitterだろうとWhatsAppだろうと刑務所に行く可能性がある。この法律の起源は、1930年代に変質者が女性の電話交換手に卑猥な言葉を投げるのを止めさせようとしたことにあるが、それが今や愚かなツイートを取り締まるのに使われているのだ。その結果、インターネット上の無礼な振る舞いは事実上の違法行為となった。

 

言論の自由の庇護者を自認する政府にとっては、嘆かわしい状況だろう。保守派の閣僚たちは、キャンセルカルチャーや学生検閲官(sensorious student)の度を越した活動を苦々しく思っているかもしれない。しかし、それらの基盤となっている権力――つまり、不用意な発言をした人間を牢屋送りにできる現状に関しては、英国政府は喜んで非自由主義的な体制を維持しようとするのだ。

 

ケリー氏を刑務所に送るところだった条項を廃止する計画があったが、既に断念されている。オンライン社会における幅広い改革の一環として、この条項は置き換えられる予定だった。この案が通っていれば、単に著しく不快なだけの発言は問題とされず、深刻な苦痛を引き起こすメッセージのみが処罰の対象となるはずだった。この方針は法改正を提案する法制審議会によって勧告されていたが、英国政府は下院からの批判を受けて改正案を白紙にした。代わりに、腐った古い条項が法令集に残り続けるだろう。

 

既存の法への追従は、演説や抗議活動の場での性急な取り締まりをもたらしている。2020年、ウィンストン・チャーチル像がロンドンの抗議活動で破壊されたあと、保守派の下院議員たちはより厳格な法規制を要求した。デモでよく起こるように、記念碑を損壊したものは誰であれ、最大で10年間を刑務所で過ごすことになり得る。これは広く支持される考えなのかもしれないが、しかし自信に満ちた社会や、表現の自由を守ろうとする政府が見せる兆しではない。

 

その代わり、言論の自由をテーマにしたカリカチュアが数を増し、中高年が10代の子供たちにひっきりなしに腹を立てている様子が描かれるようになった。保守党政権は、大学内の言論の自由に関わるポチョムキン法案を推進している。パンデミック以前、大学で外部から講演者を呼ぶイベントのうち、キャンセルされたものは0.2パーセントだった。新たな法案の下では、大学と学生団体は一度与えた開催許可を撤回することが難しくなる。ごく少数の学生による活動が、意見表明自体に投獄の可能性が付き纏うという、遥かに重大な問題を覆い隠してしまっているのだ。

 

権威主義的な性格で知られる労働党は、この問題に触れたがらない。党首のキア・スターマーはかつて人権派弁護士としてキャリアをスタートさせ、革長靴を履いた権力と戦った。その後、英国の検察局長となり、革靴の味を覚えた。ドンカスターの空港に明らかに冗談と分かるような爆破予告*4をした無害な間抜けのポール・チェンバースが検察の取り調べを受けていたとき、サー・キアは局長の任にあったのだ(チェンバースの有罪は最終的に覆された)。

 

法律違反とされた人々のほとんどは同情に値しない。今年のはじめ、誘拐と殺人の罪で有罪となった警官のウェイン・カズンズと暴力的なメッセージをやり取りしていたとして、警官2人が12週間の刑を言い渡された*5控訴審が継続中)。もし、この会話が彼らの誰かの自宅で私的に行われたものなら、起訴される余地など全く無かっただろう。嫌悪すべき振る舞いであっても、現実世界の法に反しないならば、WhatsAppチャットのような私的なテキストチャット内でも合法であるべきなのだ。枢機卿のリュシュリューはかつてこう述べた。「もっとも正直な人の手になる文章を六行ばかり寄越してくれれば、その中から彼を縛り首にする要素を見つけてみせよう」*6。法があまりに広く適用されれば、それだけ過大な人数をロープの下に送ることになる。

 

あわててツイート、牢屋で後悔*7

言論の自由は、英国政府のレトリックが現実と一致しない領域のひとつだ。時には、この欠点が好ましいこともある。保守党は2010年に人権法の改正を公約したが、改正も撤廃もできなかった。また、平等法と難民法についても何年も前から公約していたが、結局どちらにも手を入れていない。だが言論の自由に関して、政府の鈍さは問題だ。

 

政府の外には行動を起こしている人もいる。国内では埒が開かないため、ケリー氏は欧州人権裁判所で有罪判決に異議を申し立てる意向だ。そのため、活動団体のthe Free Speech Unionを通じて1万8000ポンドの寄付を募っている。言論の自由を保障し、主権を掲げるはずの英国政府が、悪名高い「外国人裁判官」*8の要請でしか非自由主義的な法律を廃止できないとすれば、それは不合理なことだろう。イギリス人が考える言論の自由は、待ち行列や王室同様にイギリス的なもので、あたかもこの国が常に自前のアメリカ修正第一条*9のようなものを享受してきたと思い込んでいる。しかし、言論の自由に横たわる非自由主義的な考えは、イギリス人の国民精神に深く根付いている。もし英国政府が真剣に表現の自由の保障を考えるなら、まずは自国の法律から始めるべきなのだ。■

 

この記事は印刷版の英国セクションに「礼節に気を配れ(さもないと牢屋行きだ)」の題で掲載されました。

 

👇原文👇

www.economist.com

*1:日本語の記事があるのは凄いね!

トーマス・ムーア - Wikipedia

*2:気になった人向け。キャプテン・ムーアの合流は1:50頃です。

www.youtube.com

*3:原文は “The only good Brit soldier is a deed one, burn auld fella, buuuuurn”

元のニュアンスはもうちょっとラフかも

*4:チェンバースさんの予告はこんな感じ👇

"Crap! Robin Hood airport is closed. You've got a week and a bit to get your shit together, otherwise I'm blowing the airport sky high!!"

(クソ!ロビンフッド空港が閉鎖された。一週間以上もこのままなら、いっそ空港を跡形もなく吹っ飛ばしてやんよ)

www.bbc.com

*5:一応補足しておくと、この2人の警官は犯罪に関わっておらず、共有されたメッセージの内容もカズンズの凶悪犯罪と直接関係しているわけではない。3人は"Bottle and Stoppers"というWhatsAppグループを作り、子供や障害者にテーザーガンを当てたり、同僚の女性をレイプするといった内容の冗談を交わしていた。詳細は以下の記事より。

www.bbc.com

*6:ググったところ、この引用はアポクリファの可能性が高いそうだ。そもそもリュシュリューの言葉そのままではなく、彼に近しかった人間がその口癖を伝えたものらしい(この点はヴォルテールの「君がそれを言う権利を~」と似ている)。また、本来は6行ではなく2行だったそう。質問サイトの回答だがソースとかも載ってるので以下のURLを参考にした。

history.stackexchange.com

*7:原文は"Tweet in haste, repent in jail"。これは"Married in haste, repent at leisure"(あわてて結婚、ゆっくり後悔)という諺に掛けたもの。

*8:この辺はBrexitと同時に、香港の最高裁判官のほとんどがイギリス人であることを踏まえた表現かもしれない(現在は別の問題に晒されていますが)。

*9:アメリカ合衆国憲法修正第1条 - Wikipedia