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ボイコットは有効か?(The Economist)

スポーツ大会のボイコットは、スポーツ自体の歴史と同じくらい古いものです。紀元前332年、アテネは自国選手に八百長疑惑が掛かったことで、オリンピックからの撤退を仄めかしています。近代では、ボイコットは主に政治的な動機から行われます。12月6日、アメリカは2022年の北京五輪に外交団を派遣しないことを発表しました。新疆ウイグル少数民族への人権侵害に抗議するためです。続いてオーストラリアも同様の発表をしましたが、両国の選手は引き続き参加する予定です。中国政府はこれらの発表を「純粋に政治的なスタンドプレー」と一蹴しました。アメリカの行動は無意味なものでしょうか? それともボイコットは効果を発揮するでしょうか?

 

 

ボイコットは通常、少なくとも理屈の上では、政府に一種の政治的・社会的な圧力を加えたり、面目を潰すことを意図しています。そして、目的が達せられることは稀です。その理由の1つとしてボイコットの多くはやり遂げるのが難しいのです。1936年にベルリン五輪が開かれたとき、ナチ政権の賓客になるよりも選手の引き上げを考えた国が複数ありました。でも結局参加したのは49ヶ国で、当時の史上最大規模の五輪となったのです。より最近では、2018年のロシアW杯においてイギリスとドイツがボイコットを画策しましたが、去ったチームは1つもありませんでした。

 

 

ボイコットは時代と場所を問わす行われてきましたが、多くの場合はささやかな影響しか与えません。冷戦時代において、大衆スポーツへの不参加がどのようなものだったか見てみましょう。1980年、アメリカとその他の66の国がモスクワ五輪への参加を拒否しました。ソ連のアフガン侵攻への抗議が主な目的です。ソ連はその意趣返しとして、東側の国々とともに4年後のロス五輪をボイコットしました。どちらの意思表示も冷戦の状況を左右することなく、ただ多くのアスリートがスポーツの栄冠を逸しただけでした。また、自国のボイコットにも関わらずモスクワに行った選手もいました。同様に、アラブ諸国やイランの選手がイスラエル人選手との対戦を拒否しても、パレスチナ内戦への影響はほとんどありません。

 

 

しかし、時にボイコットが有効なことがあります。最も強力な成功例は、反アパルトヘイト運動でしょう。30年以上もの間、白人が支配した南アフリカ共和国はスポーツ大会から除け者にされていました。1964年から92年にわたってオリンピックから排除され(国際オリンピック委員会ではなく、他の国々からの圧力が主な理由です)、ラグビークリケットといった競技の参加も厳しく制限されました。多くの政治学者は、スポーツでの孤立が体制の衰退に繋がったと考えています。『制裁の仕組み(How Sanctions Work)』と題された本のとある研究によれば、制裁は変革を促す圧力を創出し、また「現代史研究」(the Journal of Contemporary History)に掲載された別の研究は、制裁が白人の人種的イデオロギーを弱めることを示唆します。

 

 

他のボイコットが失敗する中で、この例が成功した理由はいくつかあります。まず、長きにわたって運動が続いたことです。目標とした存在にダメージを与えるのに十分なほど長く、です。南アフリカの白人リーダーたちはスポーツを愛していました。特にラグビークリケットを。ある調査によると、1990年には75%近くの南アフリカの白人がスポーツボイコットの影響を強く意識していたそうです。また、ボイコットをした人々の要求も明確で具体的でした。スポーツの門戸を全ての人種に開くよう求めたのです。そして最も重要なことに、ボイコット派は南アフリカ国内の市民運動や他の制裁、たとえば海外からの経済制裁など国家に大きな圧力を与える動きに支えられていました。

 

 

アメリカによる北京五輪の外交ボイコットはおそらく、ほとんど象徴的なものにしかならないでしょう。他の国々もおそらくアメリカに追随して、中国の人権侵害に対するネガティブなイメージを増幅することで、大会を利用して「ソフトパワー」を世界に喧伝しようとする中国の努力に水を差すかもしれません。国外のウイグル人グループは歓迎するでしょう。しかし、彼らの故郷は何も変わりません。

 

☟原文☟

www.economist.com